──霍王 李元軌(ほくおう り・げんき)の人物像より
唐の高祖の第十四子、太宗の弟である李元軌は、
父帝・高祖の死をきっかけに、真の孝と誠の姿を示した。
父帝の崩御に際し、職を辞し骨が浮くほどの悲しみ
武徳年間には呉王に封じられていた元軌は、
貞観七年(633年)に**寿州の刺史(地方長官)**に任ぜられる。
だがその任期中、父・高祖が崩御する。
元軌は直ちに職を辞し、深い哀悼の礼を尽くした。
その哀しみは深く、身体が骨ばって見えるほどに瘦せ衰えたという。
以降、彼は常に**麻の衣(喪服)**をまとい、
生涯を通して父の死を忘れぬ姿勢を保った。
魏徴も賛嘆、曾子・閔子に比する孝の徳
ある日、太宗が側近たちに尋ねた。
「我が子弟のうち、誰がもっとも賢いだろうか」
それに対し、**魏徴(ぎ ちょう)**が答える。
「すべてを知っているわけではありませんが、
霍王とは何度も会話を交わし、
そのたびに私は己の浅識を恥じました」
続けて太宗が問う。
「霍王は、昔の誰に比肩しうると思うか」
魏徴は答えた。
「経学と文章においては、漢の河間献王・東平憲王に匹敵し、
孝行においては、曾子・閔子騫にも劣りません」
この言葉に感銘を受けた太宗は、
魏徴の娘を元軌の妻とし、いよいよ寵遇を厚くした。
引用(ふりがな付き)
「自後常(つね)に布衣(ふい)を衣(き)て、身(み)に戚(いた)みあるを示(しめ)す」
「王、数(しばしば)臣(ちん)と言(い)いを交(まじ)う。未(いま)だかつて臣、己(おのれ)を失(うしな)わざることなし」
「経学(けいがく)文雅(ぶんが)において、漢の献王(けんおう)・憲王(けんおう)に匹(ひっ)す」
「孝行(こうこう)においては、古(いにしえ)の曾子(そうし)・閔子(びんし)なり」
注釈
- 布衣(ふい):粗布の衣。麻と並んで喪中に着用される服で、哀悼の意を表す。
- 献王・憲王:ともに漢の皇族で、学問や徳に優れた清廉な王として知られる。
- 曾子・閔子騫:孔子の高弟。特に孝を重んじた弟子として、『孝経』や逸話に登場。
心得
「悲しみを忘れぬ者は、信をも忘れぬ」
李元軌のように、父の喪を一生忘れぬ姿勢は、
単なる感情ではなく、節義と敬の実践である。
表面の礼儀ではなく、
生涯をかけて悲しみを宿す姿が、
人としての誠と尊敬の源なのだ。
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