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生きた民を飢えさせる政治は、人形よりも残酷である

孟子は、孔子(仲尼)の次の言葉を引用する。

「最初に俑(よう)を作って死人と共に埋める風習を始めた者は、子孫を残せないだろう」

この言葉には、人に似せた人形を“死のため”に用いることがいかに不道徳であるかという孔子の価値観が込められている。たとえ無生物であっても、人間の命を模して死に添えるという発想は、すでに「命を軽んじる心」そのものであり、容認されるべきではない。

ましてや、生きている民を飢えさせて死に至らしめるような政治は、言語道断である。
孔子が非難したのが「死の象徴としての人形」だとすれば、孟子はそこからさらに一歩進んで、「生きた民の命そのものを軽んじる政治の罪深さ」を厳しく糾弾する。


引用(ふりがな付き)

「仲尼(ちゅうじ)曰(い)わく、始(はじ)めて俑(よう)を作(つく)る者(もの)は、其(そ)れ後(あと)無(な)からんか、と。其の人(ひと)に象(かたど)りて之(これ)を用(もち)うるが為(ため)なり。之を如何(いかん)ぞ、其(そ)れ斯(こ)の民(たみ)をして飢(う)えて死(し)なしむるや。」


注釈

  • 仲尼(ちゅうじ)…孔子の字(あざな)。「仲尼先生」とも呼ばれる。
  • 俑(よう)…死者と一緒に埋葬されるために作られた木や土の人形。象徴的には「命を代用するもの」。
  • 後(あと)無からん…子孫が絶えるであろう、という断罪的表現。
  • 斯民(しみん)…この民、生きている一般庶民。

パーマリンク案(英語スラッグ)

  • life-over-rituals(命は形式より大切)
  • feeding-the-living-first(生きている民を優先せよ)
  • condemn-death-by-neglect(無視による死は許されない)

補足:命を象るか、命を救うか

孟子は、孔子の発言を引用することで、形式主義と生命尊重主義の間の倫理的境界線を明確に引いています。

孔子が批判したのは、「人の形をしたものを死の象徴として用いる残酷さ」でしたが、孟子はその視点をさらに拡張し、「生きている者を飢え死にさせる政治は、もはや比べ物にならないほど非道である」と訴えます。

これは、為政者が形式や儀礼に満足し、本質である「民の命」を見落としている状態への警告でもあります。現代においても、政策が形式ばかりで命や暮らしを支えられていないとき、まさに孟子のこの言葉が鋭く突き刺さります。

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