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心が道を楽しむとき、解脱はすでに始まっている


目次

🔖 原文(日本語訳)

「心が真理を楽しみ、覆いをはなれたやすらぎを執著せず、
四神足と八つの部分よりなる道(八正道)を楽しむならば、……」
――『ダンマパダ』第1章「双句品」第15偈(前半)


📝 逐語訳

  • 心が真理を楽しみ:仏の教えや真実の道を、苦しみではなく喜びとして味わう。
  • 覆いをはなれたやすらぎを執著せず:悟りに近い静寂を得ても、それすらも執着の対象にせず自由である。
  • 四神足を楽しむ:修行の基礎となる四つの強力な支え(意欲・精進・意念・思惟)を修めることを喜ぶ。
  • 八正道を楽しむ:正しい見解・思惟・言葉・行動・生活・努力・念・定という八つの修行の実践を積極的に行う。

🧩 用語解説

用語意味
真理(ダルマ)仏陀の説いた教え。宇宙と心の道理。
覆い(アーヴァラナ)煩悩や無明など、心を妨げるもの。
四神足(しじんそく)欲(意欲)・精進・念(集中)・思惟(智慧)の四つ。修行の強化と到達を支える四支柱。
八正道仏教の実践体系の中核。「中道」として、悟りに至るための八つの実践の道。
執著しない得た安らぎにとどまることなく、常に自由とさらなる覚りを志す姿勢。

🌐 全体の現代語訳(まとめ)

真理を愛し、すでに得たやすらぎすら手放して自由でいられる人が、
四神足や八正道といった仏道の具体的実践をも喜びとして味わうとき、
その人の修行は「義務」ではなく「悦び」となり、悟りへの歩みは一層確かなものとなる。


💡 解釈と現代的意義

この章句は、深い修行段階にある者の心のあり方を示しています。
知識でも儀式でもない――真理の実践そのものが喜びとなる心境は、真に自由で成熟した精神の姿です。

現代に生きる私たちにも、「学ぶこと」「気づくこと」「誠実に生きること」を、
義務ではなく悦びとして行える心の態度が求められています。
それは結果的に、ぶれない軸・穏やかな心・確かな成果を育てる土壌になるのです。


🏢 ビジネスにおける解釈と適用

観点解釈・適用例
学習と実践の一致理念や哲学に沿って学び・実践することを楽しむ姿勢は、持続的成長と内面的安定を生む。
マインドセットの成熟目標達成だけでなく、「努力する過程」や「自省する時間」を味わえる人は、柔軟かつ強靭な人材となる。
リーダーシップ自分の行動を「正しさの道」として楽しむリーダーは、周囲に安心と信頼を与える存在となる。
継続的変革状況が変化しても、基礎(八正道)の精神に立脚することで、自己と組織の方向性を保ち続けられる。

✅ 心得まとめ

「正しい道を歩むことが、すでに幸せである。」

人は往々にして、目的や報酬にとらわれます。
しかしこの章句は、その道そのものが喜びである時、人はすでに半ば解脱していることを教えてくれます。
実践・内省・気づき――そのすべてを味わえる心こそ、真に自由で豊かな心なのです。

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