自分の身は、つながれていない舟のようなもの。
流れてもよし、止まってもよし――すべてを自然のままに委ねる。
流れに逆らわず、無理に方向を定めようとせず、ただ、流れゆくままに身を任せる。
また、心は、もはや生気を失った枯木のようである。
だから、たとえ刀で切られようと、香を塗られようと、何一つ妨げとは感じない。
誉められても、傷つけられても、心は動じない。
この生き方は、執着や恐れを脱した、無為自然の境地ともいえる。
流れにまかせる柔らかさと、いかなることにも動じない芯の強さ。
そこには、運命と調和しながら、しなやかに生き抜く道がある。
引用(ふりがな付き)
身(み)は不繫(ふけい)の舟(ふね)の如(ごと)く、
一(いつ)に流行(りゅうこう)・坎止(かんし)に任(まか)す。
心(こころ)は既灰(きかい)の木(き)に似(に)て、
何(なん)ぞ刀割(とうかつ)・香塗(こうと)を妨(さまた)げん。
注釈
- 不繫(ふけい)の舟:つながれていない舟。自由に流れ、止まる舟。自然に身を任せる比喩。
- 坎止(かんし):流れて進むこと、あるいは止まること。吉凶や境遇の波。
- 既灰の木(きかいのき):もはや燃え尽きた、または枯れきった木。執着を失った心の象徴。
- 刀割香塗(とうかつこうと):刀で切られる、香を塗られる。侮辱や賞賛、損傷や栄誉を表す。
- 妨げんや:気にしない、動じない、影響されない。
関連思想と補足
- 本項は、『菜根譚』前集90条の「吾は吾が道を亨(とお)らしめて以て之を通ぜん」と並ぶ、**「他に左右されぬ強さ」**の表現である。
- 『老子』における「無為自然」「柔弱は剛強に勝る」に通じ、
結果にとらわれず、自然に身を任せて調和する生き方の理想形である。 - 現代でいえば、「マイペースで生きる」「自分の人生を他人の物差しで測らない」ことに通じる思想。
- 田辺茂一の「自分しか歩めない道を、自分で探しながらマイペースで歩け」にも通じ、
自律的かつ自然体な生き方を後押しする言葉である。
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