孟子は、聖人とは時代を超えて人々の師であると語る。
それはただ同時代の人々を導く存在ではなく、百代(=千年)を超えてなお人々を感化し、奮い立たせる存在だと強調している。
たとえば――
- **伯夷(はくい)**の清廉な遺風を聞いた者は、強欲な人でさえ廉直になり、
- **柳下恵(りゅうかけい)**の寛容な遺風を聞けば、人情に乏しい者も厚くなり、心の狭い者も寛大になる。
つまり、聖人の徳は直接の教えがなくとも、その「風(ふう)=人柄や生き様」だけで後世の人をも立ち直らせる力があるというのだ。
もし、百世も後の者でさえこのように心を打たれるのならば、実際に聖人と出会い、薫陶(くんとう)を受けた者がいかに深く教化されたかは、想像に難くない。
孟子のこの言葉は、真の教育や感化は「存在そのもの」から生まれるという強い信念に支えられており、現代にも響く、人格による影響力の本質を語っている。
引用(ふりがな付き)
「孟子(もうし)曰(いわ)く、聖人(せいじん)は百世(ひゃくせい)の師(し)なり。伯夷(はくい)・柳下恵(りゅうかけい)是(これ)なり。故(ゆえ)に伯夷の風(ふう)を聞(き)く者(もの)は、頑夫(がんぷ)も廉(れん)に、懦夫(だふ)も志(こころざし)を立(た)つる有(あ)り。柳下恵の風を聞く者は、薄夫(はくふ)も敦(あつ)く、鄙夫(ひふ)も寛(かん)なり。百世(ひゃくせい)の上(うえ)に奮(ふる)い、百世の下(した)、聞(き)く者(もの)興起(こうき)せざるは莫(な)きなり。聖人に非(あら)ざれば、能(よ)く是(これ)の若(ごと)くならんや。而(しか)るを況(いわ)んや之(これ)に親炙(しんしゃ)する者に於(お)いてをや」
注釈
- 聖人(せいじん)…道徳的完成を極めた人物。時代を超えて手本となる人。
- 百世(ひゃくせい)…百代。長い長い未来。千年の比喩ともされる。
- 伯夷(はくい)…高潔・清廉の象徴とされる古代の聖人。
- 柳下恵(りゅうかけい)…寛容・柔和の人格者として知られる人物。
- 風(ふう)…遺風。人柄や徳が後世にまで伝わる影響。
- 親炙(しんしゃ)…聖人と直接ふれ、その薫陶(影響)を受けること。現代語でも使われる語。
1. 原文
孟子曰、聖人百世之師也。伯夷・柳下惠是也。
故聞伯夷之風者、頑夫廉、懦夫立志。
聞柳下惠之風者、薄夫敦、鄙夫寛。
奮乎百世之上、百世之下、聞者莫不興也。
非聖人、而能若是乎?而況於親炙之者乎。
2. 書き下し文
孟子(もうし)曰(いわ)く、聖人(せいじん)は百世(ひゃくせい)の師(し)なり。伯夷(はくい)・柳下恵(りゅうかけい)、是(これ)なり。
故(ゆえ)に伯夷の風(ふう)を聞(き)く者は、頑夫(がんぷ)も廉(けん)に、懦夫(だふ)も志(こころざし)を立(た)つる有(あ)り。
柳下恵の風を聞く者は、薄夫(はくふ)も敦(あつ)く、鄙夫(ひふ)も寛(ひろ)し。
百世の上(かみ)に奮(ふる)い、百世の下(しも)に至(いた)りて、聞(き)く者興(こう)ぜざるは莫(な)きなり。
聖人に非(あら)ざれば、能(よ)く是(かく)の若(ごと)くならんや。
而(しか)るを況(いわ)んや之(これ)に親炙(しんしゃ)する者に於(お)いてをや。
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
- 聖人百世之師也。
→ 聖人は、百世(何世代にもわたる)後の人々の師である。 - 伯夷・柳下惠是也。
→ 伯夷や柳下恵こそ、そのような聖人である。 - 故聞伯夷之風者、頑夫廉、懦夫立志。
→ だから、伯夷の風(=人柄や行い)を聞いた者は、愚かな者も清廉になり、弱気な者も志を抱く。 - 聞柳下惠之風者、薄夫敦、鄙夫寛。
→ 柳下恵の風を聞いた者は、情の薄い者も厚情になり、下賤な者も心が寛くなる。 - 奮乎百世之上、百世之下、聞者莫不興也。
→ 彼らの精神は百世以前に発して、百世後までに至り、それを聞く者で奮い立たぬ者はいない。 - 非聖人、而能若是乎?
→ もし聖人でなければ、どうしてこれほどの影響を与えられようか。 - 而況於親炙之者乎。
→ ましてや、彼らに直接接した者であれば、なおさらである。
4. 用語解説
- 聖人(せいじん):徳の高い、理想的な人格を備えた人物。後世にわたって影響を及ぼす人物。
- 百世(ひゃくせい):百代。長い時代、永遠に近い年月。
- 伯夷(はくい):古代中国の高潔な隠者。義に殉じて生涯節を曲げなかった人物。
- 柳下恵(りゅうかけい):古代魯の賢人。柔和で寛大な性格で知られる。
- 風(ふう):その人の風格、行いや精神、風采。
- 頑夫(がんぷ):愚かで道理に疎い人。
- 懦夫(だふ):意志が弱く、気がくじけやすい人。
- 薄夫(はくふ):情が薄く、思いやりに欠ける者。
- 鄙夫(ひふ):粗野で教養に乏しい者。
- 奮乎(ふんこ)す:感動して奮い立つこと。
- 親炙(しんしゃ):直接触れて感化を受けること。炙(あぶ)るように温もりを得る意。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
孟子はこう言った:
「聖人は、百世にわたって人々の師である。伯夷や柳下恵がそれである。
伯夷の風格に触れた者は、愚かな者でも清廉に、意志の弱い者も志を抱くようになる。
柳下恵の風格に触れた者は、冷淡な者も情深くなり、粗野な者も寛容になる。
彼らの精神は、百世前から響き、百世後にまで及び、それを聞く者で感動しない者はいない。
もし聖人でなければ、これほどの影響を与えられるはずがない。
まして、彼らと直接触れた者が感化されないはずがあろうか。」
6. 解釈と現代的意義
この章句は、「人格の力が時代と人々を超えて感化を与える」という孟子の根本思想を表しています。
孟子は、真に徳を備えた聖人の存在は、一時代に限らず、何代にもわたって人間を変え、社会を導く力を持つと語ります。
しかもその感化力は、知識や理屈ではなく、「風」=雰囲気や人格の薫りによって自然に人を動かすというのが重要なポイントです。
7. ビジネスにおける解釈と適用
「本物のリーダーは、行動と人格で人を育てる」
- 伯夷・柳下恵のように、リーダーの人格とふるまい自体が、人を感化し、組織を動かす源となる。
- 教育・マネジメントの本質は、**“言葉より風格”**にある。
「影響力とは、立場ではなく“在り方”による」
- 誰もが注目するような成功者や上司でなくとも、日常の中で徳をもって生きる人は、周囲に静かな変化をもたらす。
- それが“百世に伝わる師”の在り方である。
「“親炙”の機会を活かす」
- 影響力のある人物に“直接触れる”経験(=親炙)は、何よりも深い学びを与える。
- 社内でも、若手が尊敬できる人物と接する機会をどう作るかが、組織の文化と成長力を左右する。
8. ビジネス用心得タイトル
「人を動かすのは“風”──百世に伝わる徳の力」
この章句は、「真のリーダーシップとは何か?」を極めて本質的に語った言葉です。
“偉大な人物”とは、名声や実績以上に、人々を善に導く感化力を備えた存在であると孟子は説いています。
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