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孔子に私淑する

直接学べずとも、心から敬い、学び、継ぐ――それが私淑の道

孟子は、「どんなに徳の高い人物の遺徳も、五世(約150年)を過ぎれば消えてしまう」と述べる。
君子であろうと、小人であろうと、その人の残した影響は時とともに薄れていくのが世の常である。

自らが孔子の時代から百年余を隔てた後世の人間であることを自覚しながら、
孟子はこう語る――

「私は孔子の直接の弟子にはなれなかった。しかし、孔子の徳の影響を受け継ぐ人々から学び、
その精神に私淑して、自分を修養してきた
のだ」と。

この「私淑(ししゅく)」という言葉は、師弟関係や形式にとらわれず、心から尊敬し模範とする人物に学ぶ態度を表しており、
今日における真摯な学びの在り方としても極めて重要な概念である。


原文(ふりがな付き)

孟子(もうし)曰(いわ)く、
君子(くんし)の沢(たく)は、五世(ごせい)にして斬(た)え、
小人(しょうじん)の沢も、五世にして斬(た)ゆ。
予(われ)未(いま)だ孔子(こうし)の徒(と)たるを得(え)ざるなり。
予(われ)私(ひそ)かに諸(これ)を人(ひと)に淑(しゅく)くするなり。


注釈

  • 君子の沢(たく):徳ある人物が後世に与える恩恵、感化のこと(遺徳・遺風)。
  • 五世にして斬ゆ:おおよそ五代(150年)を経ると、その影響力は自然に消えていく。
  • 私淑(ししゅく):直接師事できなかった人物を、心から敬い、学ぶこと。
     ※「私淑」はこの一節から生まれた語で、現代でも使われる表現。

心得の要点

  • 徳や教えは時間とともに薄れてしまうが、それを再び掘り起こして学ぶことができる。
  • 尊敬する人物に直接学べずとも、その精神に私淑して己を磨く道がある。
  • 真の学びとは、形式や距離を超えて、心からの敬意と内面の修養によって継がれるもの。
  • 孟子自身が、孔子の精神を学び取り、継承しようとした姿勢に、学び手の理想的な在り方が見える。

パーマリンク案(スラッグ)

  • learning-through-reverence(敬意による学び)
  • shishu-from-afar(遠くからの私淑)
  • true-discipleship-beyond-time(時を越えた真の弟子)

この章は、形式よりも精神を重んじる孟子の姿勢が表れた章であり、
現代においても「誰から学ぶか」「どう学ぶか」を考えるうえで、非常に深い示唆を与えてくれます。

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