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行動にこそ、学びの真価が現れる

人として自然な感情に従い異性に心が惹かれることは誰しもあるが、それと同じくらいの真剣さで、父母には力の限り尽くし、主君には命をかけて仕えるべきである。
友人との関係では、言葉に責任を持ち、信を守ることが何よりも大切だ。こうしたことが実行できているなら、たとえ「学んでいない」と言われても、すでに立派に学を体得していると言える。

「賢(けん)を賢(けん)として色(いろ)に易(か)えよ。父母(ふぼ)に事(つか)えて能(よ)く其(そ)の力(ちから)を竭(つ)くし、君(きみ)に事えて能く其の身(み)を致(いた)し、朋友(ほうゆう)と交(まじ)わるに言(こと)いて信(しん)あらば、未(いま)だ学(まな)ばずと曰(い)うと雖(いえど)も、吾(われ)は必(かなら)ず之(これ)を学(まな)びたりと謂(い)わん」

書物の知識や学歴の有無ではなく、行動と人格にこそ、学びの本当の成果はあらわれる。


※注:

  • 「賢を賢として色に易えよ」…賢者を敬うことを、容姿や異性への関心より優先せよという意。
  • 「君」…仕えるべき目上の人。必ずしも国の王を指すとは限らない。
  • 「信」…言葉に責任を持ち、誠実であること。
  • 「未だ学ばずと曰う」…形式的な学問を受けていないという意味。
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