― 聖人の道に上下はなく、志の方向が違う ―
公孫丑は孟子にさらに問いかけた。
「では、伯夷(はくい)や伊尹(いいん)については、どのようにお考えですか?」
孟子は、二人の聖人の行いを比べながら、以下のように整理して語る:
伯夷の生き方:義に殉じて隠遁する
- 自分が正しいと思える君主でなければ仕えず、正しい民でなければ統治しない。
- 世がよく治まっていれば出仕し、世が乱れていれば退いて隠れる。
- 非常に潔癖な生き方で、自己の義を守ることを最優先とする。
伊尹の生き方:あらゆる場において道を行う
- 君が誰であれ、民がどのようであれ、仕えるべきときには必ず仕える。
- 世の中が治まっていても、乱れていても、常に政治に携わり、民を導く。
- 「義ある行動」は、現実の中で実行することに価値があると考える。
孔子の生き方:道と状況を見極めて柔軟に対処する
- 仕えるべきときには仕え、退くべきときには退く。
- 長くとどまるべきときにはとどまり、去るべきときには速やかに去る。
- 理と時機の一致を見て行動を決めるという、極めて柔軟かつ実践的な道を歩む。
孟子はこの三者を「皆、古の聖人なり」と称えながら、こう付け加える。
「私は、まだこれらの方々のような生き方を完全に実行できてはいない。
しかし、私の願いは、孔子の生き方を学び、近づいていくことなのだ」。
孟子が尊敬するのは、時代や状況に応じて“義”を具体化し、実践する知と柔軟さを兼ね備えた孔子の姿である。
原文(ふりがな付き引用)
「曰(いわ)く、伯夷(はくい)・伊尹(いいん)は何如(いかん)。
曰く、同じ道に非(あら)ず。其の君に非ざれば事(つか)えず、其の民に非ざれば使(つか)わず。
治(おさ)まれば則(すなわ)ち進(すす)み、乱(みだ)るれば則ち退(しりぞ)く――伯夷なり。
何(いず)れに事うるとして君に非ざらん、何れを使うとして民に非ざらん。
治まるも亦(また)進み、乱るるも亦進む――伊尹なり。
以て仕うべくんば則ち仕え、以て止むべくんば則ち止み、以て久しかるべくんば則ち久しくし、以て速やかなるべくんば則ち速やかにする――孔子なり。
皆、古(いにしえ)の聖人なり。吾(われ)は未(いま)だ能(よ)く行(おこな)うことあらず。
乃(すなわ)ち願(ねが)う所は、則(すなわ)ち孔子を学(まな)ばん。」
注釈(簡潔版)
- 伯夷(はくい):正義と清廉の象徴。乱世では姿を消し、義に反する政治には一切関与しない。
- 伊尹(いいん):現実を受け入れつつ、どのような状況でも“善政”を実現しようとする実務派の聖人。
- 孔子(こうし):状況に応じて行動を変え、義を実践する柔軟な知恵の持ち主。孟子の理想像。
- 具(そな)うべくんば~す:~できる状況であれば、その通りに行動するという条件付きの柔軟な判断。
パーマリンク(英語スラッグ案)
learning-the-way-of-confucius
(孔子の道を学ぶ)wisdom-in-action
(行動における知恵)different-paths-of-the-sages
(聖人の道は一つではない)
この章は、孟子自身の「修養のあり方」を率直に語った重要な部分です。
彼は理想の人物像として孔子を掲げながら、聖人の道にも多様なスタイルがあり、重要なのは自分の信念に忠実であることだと教えてくれます。
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