――人に見せるためでなく、自分を磨くために学べ
孔子は、学びの目的が時代によって変質してしまっていることを憂い、こう語ります。
「古(いにしえ)の学者(がくしゃ)は己(おのれ)の為にす。
今(いま)の学者は人(ひと)の為にす。」
つまり、昔の学者――本当の意味で学問に励んだ人々は、
名声や評価のためではなく、自分を磨くために学んでいた。
それに対し、今の学び手たちは、
他人に評価されたい、人前で役立ちたい、名を上げたいという外向的な動機で学んでいる。
そのような学びは、根が浅く、道としての重みを失ってしまうと孔子は警告しているのです。
教訓
この章句は、「学ぶ理由が正しくなければ、学びの本質も見失う」ということを示しています。
- 自分を高めることが目的であれば、学びは一生続く道となる。
- 他人の評価が目的であれば、学びは手段となり、浅くなりがち。
孔子は、**「学問とは人間形成の道」**であるという本質を忘れるなと教えてくれているのです。
原文
子曰、古之學者爲己、今之學者爲人。
書き下し文
子(し)曰(いわ)く、古(いにしえ)の学者(がくしゃ)は己(おのれ)の為(ため)にす。今(いま)の学者は人(ひと)の為にす。
現代語訳(逐語/一文ずつ)
「古の学者は己の為にす」
→ 昔の学ぶ人は、自分自身の人格を磨くために学んでいた。
「今の学者は人の為にす」
→ 今の学ぶ人は、他人に評価されるため、地位や名声を得るために学んでいる。
用語解説
- 学者(がくしゃ):ここでは“学ぶ人”、“学びに励む者”という意味。研究者に限らず、修養を志す者全般を指す。
- 為己(いこ):自らの人格・人間性を向上させるために学ぶ姿勢。
- 為人(いじん):他人からの評価や見せかけのために学ぶ姿勢。社会的名誉・利益のための学び。
全体の現代語訳(まとめ)
孔子はこう言った:
「昔の学ぶ人たちは、自分自身を高め、人格を磨くために学んでいた。
それに対して、今の学ぶ人たちは、他人に評価されるため、地位や名声を得るために学んでいる。」
解釈と現代的意義
この章句は、**「学びの動機と目的の純粋性」**を問いかけています。
- 孔子が理想とする学びとは、自己修養・自己完成を目的とした“内に向かう学び”。
- 一方で、地位・報酬・称賛を目的とした“外に向かう学び”は浅くなりやすいという警鐘。
- 学びの姿勢の差は、その人の人間力・信頼性・行動の深さに直結する。
ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)
「スキル習得は“何のため”に行っているかが問われる」
- 昇進や評価のためだけに学ぶのか?
それとも、自分を磨き、よりよい行動を取るために学んでいるのか?
「内発的動機を持つ人は、学び続ける力がある」
- 表彰・肩書き・人の目を気にする学びは、燃え尽きやすく不安定。
- 「己のために学ぶ」人は、自分軸があるから強い。
「“資格取得”や“セミナー受講”の先に、“人格の成長”を見据えよ」
- 学んだ知識やスキルは、どう自分を変え、どう社会に還元できるかが重要。
- “為己”の姿勢を持つ社員は、長期的に信頼される人材となる。
まとめ
「学びは誰のため?──自分を高める者だけが本物になる」
この章句は、今日の「資格取得ブーム」「自己啓発産業」の時代においても、
**「本当に何のために学んでいるのか?」**という本質的な問いを投げかけます。
地位や評価のために学ぶ“為人”ではなく、
人格と実力を深める“為己”の学びこそが、
信頼されるビジネスパーソン・真のリーダーの基盤になるのです。
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