孟子は言う。大きなことを成し遂げようとする君主には、必ず“自ら出向いて教えを乞うべき臣下”がいる。彼らを呼びつけてはならない。それは、君主が徳と道を尊び、自らを律し続ける覚悟があることの証明でもある。
殷の湯王は、賢者・伊尹をただの臣下としてではなく、まず「師」として敬い、学びを得た後に臣とした。斉の桓公もまた、管仲に対して同様に敬意を払った。そのため、湯王も桓公も、大きな労を負うことなく王・覇者の座に登りつめた。
一方、今の諸侯たちは、領地も徳も互いに似たりよったりで、誰も抜きん出ることができていない。それは、皆が「自分に従順な臣下」を好み、「自分より優れた師のような臣下」から教えを受けることを嫌がっているからだ。
湯王ですら伊尹を呼びつけることはせず、桓公でさえ管仲を師として敬った。ましてや、覇者ではなく“王者”の道を目指す自分のような者を呼びつけるのは、正しい礼ではない。
孟子の主張は明快だ――本物のリーダーは、自ら学ぶ姿勢を持ち続けなければならない。そして、師とするに足る者を敬い、頭を下げてでもその知を仰ぐ覚悟がなければ、大義ある事業は成し遂げられない。
原文(ふりがな付き引用)
故(ゆえ)に将(まさ)に大(おお)いに為(な)さんとするの君(きみ)は、
必(かなら)ず召(め)さざる所(ところ)の臣(しん)有(あ)り。
謀(はか)ること有(あ)らんと欲(ほっ)すれば、則(すなわ)ち之(これ)に就(ゆ)く。
其(そ)の徳(とく)を尊(たっと)び、道(みち)を楽しむこと、是(か)くの如(ごと)くならざれば、与(とも)に為(な)すに足(た)らざるなり。
故(ゆえ)に湯(とう)の伊尹(いいん)に於(お)ける、学(まな)んで而(しこう)して後(のち)に之(これ)を臣(しん)とす。故(ゆえ)に労(ろう)せずして王(おう)たり。
桓公(かんこう)の管仲(かんちゅう)に於(お)ける、学(まな)んで而(しこう)して後(のち)に之(これ)を臣(しん)とす。故(ゆえ)に労(ろう)せずして覇(は)たり。
今(いま)、天下(てんか)地(ち)醜(しゅう)し、徳(とく)斉(ひと)しく、能(よ)く相(あい)尚(たか)うる者(もの)莫(な)きは、他(た)に無し。
其(そ)の教(おし)うる所(ところ)を臣(しん)とするを好(この)んで、其(そ)の教(おし)えを受(う)くる所(ところ)を臣(しん)とするを好(この)まざればなり。
湯(とう)の伊尹(いいん)に於(お)ける、桓公(かんこう)の管仲(かんちゅう)に於(お)けるは、則(すなわ)ち敢(あ)えて召(め)さず。
管仲(かんちゅう)すら且(か)つ猶(なお)召(め)す可(べ)からず。而(し)るを況(いわ)んや管仲(かんちゅう)たらざる者(もの)をや。
注釈(簡潔な語句解説)
- 召さざる所の臣:君主が呼びつけず、自ら出向くべきほど尊ぶ臣。師のような存在。
- 地醜し:領地が似たり寄ったりで、大きな差がないこと。
- 相尚うる(そうたかうる):互いに抜きん出ること。優劣がつかない状態。
- 教うる/教えを受くる:前者は「教える側(従順な家臣)」、後者は「教わる側(師と仰ぐ者)」。
パーマリンク候補(英語スラッグ)
- leadership-through-learning(学びから始まるリーダーシップ)
- great-leaders-seek-teachers(偉大な指導者は師を求める)
- respect-before-command(命じる前に敬意を)
この章は、リーダー像に関する孟子の核心的思想を端的に示しています。自らを高め、より大きな義をなすには、教えを請う謙虚さが不可欠であることを強く説いています。
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