― 側近の声ではなく、国民の声を土台にした政治判断を
孟子は、人を用いる判断基準について、斉の宣王に極めて明快な原則を示した。
信頼する側近や重臣たちが口を揃えて「賢い、用いるべきだ」と言っても、すぐにその人物を登用してはならない。
また、同じように「使えない」「排除すべきだ」「殺すべきだ」と彼らが言ったとしても、王はそれだけで判断してはならない。
真に王が人を用いる、または退けるべきかどうかは――
国中の人々がその人物をどう見るかに注目すべきだ、と孟子は説く。
国民の多くが「その人物は有能だ」と評価したときに、初めて王は自らの目でよく観察し、適格だと判断すれば登用すべき。
逆に、「その人物は不適格だ」「害がある」と民が口を揃えたときも、自ら確かめた上で、やはりそうであると納得できれば退け、最終的には処刑もやむを得ないということになる。
この判断基準に従ってこそ、「国人が殺したのだ」といえる――
つまり、国民の総意に基づいた政治が実現するのだ。
孟子のこの言葉には、古代にありながらも現代の民主主義に通じる「公共の意思」と「慎重な権力行使」の精神が貫かれている。
民の声に耳を傾け、自らの目で確かめる――この二重のフィルターが、王を「民の父母」と呼ぶにふさわしい存在とする。
引用(ふりがな付き)
「左右(さゆう)皆(みな)賢(けん)なりと曰(い)うも、未(いま)だ可(か)ならざるなり。
諸大夫(しょたいふ)皆(みな)賢(けん)なりと曰(い)うも、未(いま)だ可(か)ならざるなり。
国人(こくじん)皆(みな)賢(けん)なりと曰(い)い、然(しか)る後(のち)に之(これ)を察(さっ)し、賢(けん)なるを見(み)て、然(しか)る後(のち)之(これ)を用(もち)いよ。
左右(さゆう)皆(みな)不可(ふか)なりと曰(い)うも、聴(き)く勿(なか)れ。
諸大夫(しょたいふ)皆(みな)不可(ふか)なりと曰(い)うも、聴(き)く勿(なか)れ。
国人(こくじん)皆(みな)不可(ふか)なりと曰(い)い、然(しか)る後(のち)之(これ)を察(さっ)し、不可(ふか)なるを見(み)て、然(しか)る後(のち)之(これ)を去(さ)れ。
左右(さゆう)皆(みな)殺(ころ)すべしと曰(い)うも、聴(き)く勿(なか)れ。
諸大夫(しょたいふ)皆(みな)殺(ころ)すべしと曰(い)うも、聴(き)く勿(なか)れ。
国人(こくじん)皆(みな)殺(ころ)すべしと曰(い)い、然(しか)る後(のち)之(これ)を察(さっ)し、殺(ころ)すべきを見(み)て、然(しか)る後(のち)之(これ)を殺(ころ)せ。
故(ゆえ)に曰(い)く、国人(こくじん)之(これ)を殺(ころ)すなり。
此(こ)の如(ごと)くして、然(しか)る後(のち)以(もっ)て民(たみ)の父母(ふぼ)たるべし。」
注釈
- 左右(さゆう)…王に仕える最も近い側近たち。
- 諸大夫(しょたいふ)…朝廷の高官や重臣。
- 国人(こくじん)…民衆。国中の広範な人々の意見、すなわち「民意」を表す。
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