孟子は、人を導くにはまず自らが明らかでなければならないと説く。
賢者とは、自らの「昭昭(しょうしょう)=明らかな徳」をもって人々を照らし、導くことができる存在である。
しかし、現在の為政者たちは、自らが「昏昏(こんこん)=徳もなく暗愚」であるにもかかわらず、
その暗さのままで人に徳を持たせようとしている。
孟子はこの態度を厳しく批判し、それでは人は決して感化されず、善に向かって変わることもないと断じる。
この教えは、**「徳は上から下へと伝わる」**という儒教の根本原理の一つであり、
人を変えたいなら、まず自分自身が変わらなければならないという極めて実践的な指針でもある。
つまり、言葉や命令ではなく、「徳の光」で人を照らすことが真のリーダーシップであり、
それがなければ、どんな正論も虚しく響くばかりだ。
引用(ふりがな付き)
「孟子(もうし)曰(いわ)く、賢者(けんじゃ)は其(そ)の昭昭(しょうしょう)を以(もっ)て、人(ひと)をして昭昭たらしむ。今(いま)は其の昏昏(こんこん)を以て、人を昭昭たらしめんとす」
注釈
- 昭昭(しょうしょう)…明るくはっきりしていること。ここでは「高潔な徳」のこと。
- 昏昏(こんこん)…暗くぼんやりしているさま。ここでは「徳のない状態」「無明」「愚かさ」を指す。
- 使人昭昭たらしむ…人に明徳を持たせる、立派に育てようとする。
- 今は其の昏昏を以て~…今の為政者は、自らに徳がないまま他人を正そうとするという批判。
1. 原文
孟子曰、賢者以其昭昭、使人昭昭。
今以其昏昏、使人昭昭。
2. 書き下し文
孟子(もうし)曰(いわ)く、賢者(けんじゃ)は其(そ)の昭昭(しょうしょう)を以(も)って、人(ひと)をして昭昭たらしむ。
今(いま)は其の昏昏(こんこん)を以って、人を昭昭たらしめんとす。
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
- 賢者以其昭昭、使人昭昭。
→ 賢者は、自らが明晰であることで、人をも明晰にさせる。 - 今以其昏昏、使人昭昭。
→ ところが今の人は、自らが暗く曖昧なままで、他人を明晰にしようとしている。
4. 用語解説
- 賢者(けんじゃ):知識と徳を備えた人物。正しく明晰に物事を見ることができる人。
- 昭昭(しょうしょう):明らかであること。物事をはっきりと見通し、理解している様子。
- 昏昏(こんこん):ぼんやりしていること。物事を理解できていない、曇った状態。
- 使人昭昭:他人を賢く・明晰に導く、啓蒙すること。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
孟子はこう言った:
「賢者とは、自分が明晰であることによって、他人も明晰に導く者である。
だが今の者は、自分自身がぼんやりと曇った状態のままで、他人を明晰にしようとしている。」
6. 解釈と現代的意義
この章句は、**教育・指導・リーダーシップにおける“自己修養の優先”**を説いています。
孟子は、**「教える者がまず明晰であれ」**と強調します。自らが理解していないのに他者を啓蒙しようとするのは本末転倒であり、むしろ混乱を招く行為だと批判しているのです。
これは単に知識の有無ではなく、人間としての見識・徳・判断力の有無をも含む深い指摘です。
7. ビジネスにおける解釈と適用
「リーダー自身が“理解している”ことが前提」
- 自分が業務の目的や方針を曖昧にしたままで、部下に明確な成果を求めるのは孟子の言う“昏昏にして昭昭を望む”行為。
- まず自分がビジョンや道筋を明確に持ち、それを共有することが信頼される指導の第一歩。
「“教える”には自己理解と修練が必要」
- OJTや指導者研修では、“教えることは学ぶこと”という姿勢が重要。
- 教える立場になることで、自分の曖昧さに気づくことも多いが、それに目をつぶったままでは指導は成立しない。
「“わかっていないのに語る人”に注意」
- 社内会議やプロジェクトでも、自分が理解していないまま意見だけを振り回す人は、チームを混乱させる元となる。
- “まず自分が明るくなれ”──それが信頼される発言者・実行者の条件。
8. ビジネス用心得タイトル
「教える前に、まず明らかであれ──“自らを照らす者”が、他を導く」
この章句は、**「自己を照らす者が、はじめて他人を導ける」**という孟子の厳しくも深い教えです。
「先に学び、先に理解し、先に実践する」──指導者・リーダー・教育者すべてに共通する普遍の心得です。
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