欲の深い人間の欲望には、終わりがない。
金を得ても、今度は玉を得られなかったことを嘆き、
公爵に封ぜられても、諸侯(=領地持ち)になれなかったと不満を抱く。
このように、地位も財産も手に入れた人間が、心の中では物乞いのように飢えている――それが**「貪得者(どんとくしゃ)」**の姿である。
一方、足るを知る者は、あかざの羹(あかざのとろみ汁)という粗末な食事すらも、
脂ぎった高級料理より美味しく感じ、布のどてらでも、狐や貉の毛皮の衣より暖かく感じる。
このように、心が満ちている人は、物が少なくても生き方が豊かで、
たとえ貧しい庶民であっても、その内面は王侯より上位にあると言えるのである。
引用(ふりがな付き)
得(え)るを貪(むさぼ)る者(もの)は、金(きん)を分(わか)つも玉(ぎょく)を得(え)ざるを恨(うら)み、
公(こう)に封(ほう)ぜらるるも侯(こう)を受(う)けざるを怨(うら)みて、
権豪(けんごう)も自(みずか)ら乞丐(こつがい)に甘(あま)んず。
足(た)るを知(し)る者は、藜羹(れいこう)も膏梁(こうりょう)より旨(うま)しとし、
布袍(ふほう)も狐貉(こかく)より煖(あたた)かなりとして、編民(へんみん)も王公(おうこう)に譲(ゆず)らず。
注釈
- 貪得者(どんとくしゃ):得ることに貪欲な人。欲望の底が見えない。
- 乞丐(こつがい):乞食・もの乞い。物理的には富んでいても、精神的には常に「足りない」と感じる状態。
- 藜羹(れいこう):あかざ(雑草の一種)を煮た粗食。素朴な食の象徴。
- 膏梁(こうりょう):脂っこく贅沢な高級料理。
- 狐貉(こかく):狐や貉の毛皮で作った高級な衣服。
- 布袍(ふほう):布でできた質素な上着。高価ではないが温かい。
- 編民(へんみん):戸籍に登録された庶民。社会の基層を担う一般の人々。
関連思想と補足
- 『老子』の「足るを知る者は富む」(第三十三章)は、『菜根譚』全体に通底する教え。
- 『論語』にも「敝れたる縕袍を衣、狐貉を衣たる者と立ちて恥じざる者は、其れ由なるか」(子罕第九)とあり、
外見より内面の充実が重要であるという価値観が一貫して見られる。 - 江戸時代の徳川家康も「欲深き者には国郡を与うること勿かれ」と述べており、
倹約・質素を美徳とする思想は武士道にも影響を与えている。
原文:
貪得者、分金恨不得玉、封公怨不受侯、權豪自甘乞丐。
知足者、藜羹旨於膏梁、布袍煖於狐貉、編民不讓王公。
書き下し文:
得るを貪る者は、金を分かつも玉を得ざるを恨み、公に封ぜらるるも侯を受けざるを怨み、権豪も自ら乞丐に甘んず。
足るを知る者は、藜羹は膏梁に勝りて旨く、布袍は狐貉に勝りて温かなりとして、編民も王公に譲らず。
現代語訳(逐語/一文ずつ):
- 「得るを貪る者は、金を分かつも玉を得ざるを恨み」
→ 貪欲な者は、すでに金を得ても、さらに玉が手に入らないことを嘆く。 - 「公に封ぜらるるも侯を受けざるを怨み」
→ 高位である「公爵」に任命されても、それより下の「侯爵」からの承認がなかったと怒る。 - 「権豪も自ら乞丐に甘んず」
→ いくら権力を持ち富豪であっても、満足を知らなければ心の中では乞食同然である。 - 「足るを知る者は、藜羹は膏梁に勝りて旨く」
→ 満足を知る者は、粗末な藜(あかざ)のスープでも、贅沢なご馳走よりおいしく感じる。 - 「布袍は狐貉に勝りて温かなりとして」
→ 粗末な木綿の服でも、きらびやかな毛皮の衣よりも温かいと感じる。 - 「編民も王公に譲らず」
→ 一介の庶民でも、自分に満足していれば、王侯貴族の地位さえも羨ましくない。
用語解説:
- 分金(ぶんきん):金(財産)を得ること。
- 封公・受侯:古代中国の爵位制度での高位に任ぜられること。名誉や地位の象徴。
- 乞丐(こつかい):物乞い、乞食。
- 藜羹(れいこう):藜(あかざ)という野草で作った粗末なスープ。
- 膏梁(こうりょう):脂の乗った肉や白米など、高級で贅沢な食事。
- 布袍(ふほう):麻や綿などの粗末な衣服。
- 狐貉(こかく):狐や貉(むじな)の毛皮、高級衣類の象徴。
- 編民(へんみん):庶民、一市井の人。
- 足るを知る:「足るを知る者は富む」とも言われ、今あるもので満足する心の境地。
全体の現代語訳(まとめ):
貪欲な人間は、金を手に入れても玉を得られないことに不満を抱き、公の爵位を得ても侯からの賛辞がないと怒る。そんな者は、権力者であっても心の中では乞食のようなものだ。
一方、満足を知る人間は、粗末なスープを高級料理よりおいしいと感じ、綿の服を毛皮より温かく思い、庶民でありながら王侯貴族にさえ引けを取らない尊さを持つ。
解釈と現代的意義:
この章句は、**「満足を知らぬ者は常に不足を抱え、満足を知る者はすでに豊かである」**という人生の深い真理を説いています。
1. 「もっともっと病」の末路
- 欲を満たそうとすれば、得てもなお新しい欲が湧く。
→ 常に“今ないもの”ばかりを見て、不平・嫉妬・焦燥が止まらない。
2. 心の貧しさが“内なる乞食”を生む
- 地位や財を得ても「足りない」と思い続ければ、精神は乞食と同じ。
→ 見た目ではなく、心の在り方が“富”の本質を決める。
3. 足るを知る人の幸福は「今、ここ」にある
- どんなに粗末でも、自分がそれに価値を見いだせば、比べる必要などない。
→ 「他人と比べない生き方」=真の豊かさ。
ビジネスにおける解釈と適用:
1. 「実績はあるのに満たされない人」への警鐘
- 売上・地位・評価を得ても、さらに上を見て心が荒む人は、どこまで行っても空虚。
→ 「得ること」より「満ちること」が重要。
2. 組織の幸福は“満足できる文化”に宿る
- 成果主義一辺倒の会社では、無限の競争と焦燥感に組織が病む。
→ 「ほどほどで良い」「今あるものを味わう」文化が持続可能性を生む。
3. リーダーに必要なのは“足るを知る判断力”
- 事業拡大や資金調達、採用も「今必要か?」「持て余していないか?」を常に吟味する姿勢。
→ 成長と欲望を混同しないリーダーシップが求められる。
ビジネス用心得タイトル:
「足るを知る者、王にも譲らず──満足が最強の資産となる」
この章句は、“どこまでいっても足りない人”と“今あるもので満ち足りる人”の違いは「心の習慣」から生まれることを教えています。
どんなに恵まれていても足りないと思うなら、それは本当の意味で「得ていない」のと同じ。
逆に、少なくとも心が満たされていれば、それは“真の豊かさ”なのです。
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