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楽しみには“頃合い”がある――切り上げる勇気が余韻を生む

賑やかな宴も、時を見誤れば興ざめの場と化す。
友や客が雲のように集まり、大いに飲んで騒ぐ――それは一見、人生の大きな楽しみのように思える。
だが、夜が更け、酒が切れ、香も消え、茶も冷める頃には、場がだらけはじめ、わけのわからぬ人が泣き出したりして、かえってつまらなくなる。
物事というものは大抵このようなもので、最高潮を過ぎると、楽しさは色褪せ、虚しさに変わる。
それなのに、なぜ人は“ちょうどいいところで終える”ことができないのか?
真の楽しさは、引き際を知るところにこそある。


引用(ふりがな付き)

賓朋(ひんぽう)雲集(うんしゅう)し、劇飲(げきいん)淋漓(りんり)として楽しめり。
俄(にわ)かにして漏(ろう)尽(つ)き、燭(しょく)残(のこ)り、香(こう)銷(き)え、茗(めい)冷(ひ)ややかにして、
覚(おぼ)えず反(かえ)って嘔咽(おうえつ)を成(な)し、人(ひと)をして索然(さくぜん)として味(あじ)無(な)からしむ。
天下(てんか)の事(こと)は率(おおむ)ね此(こ)れに類(るい)す。人(ひと)、奈何(いかん)ぞ早(はや)く頭(こうべ)を回(めぐ)らさざるや。


注釈

  • 賓朋雲集(ひんぽううんしゅう):多くの客人や友人が、まるで雲のように一堂に集まること。
  • 劇飲淋漓(げきいんりんり):酒をたくさん飲み、宴が長々と続くさま。
  • 漏尽き(ろうつき):夜が更ける。昔の水時計の「漏刻」によって時間をはかったことから。
  • 嘔咽(おうえつ):泣き出すこと。酔って感情が崩れた様子。
  • 索然(さくぜん):興ざめすること。虚しく、味気ない様子。
  • 頭を回らさざるや(こうべをめぐらさざるや):「なぜ気づかないのか」「なぜ引き際を見極めようとしないのか」という問いかけ。

関連思想と補足

  • 『論語』学而第一の「朋有り遠方より来たる。亦た楽しからずや」との対比が含意されている。
    こちらの「楽しみ」は、学び合う志ある仲間との時間。表面的な騒ぎとは一線を画す。
  • 『菜根譚』が警告するのは、楽しみの“量”ではなく、“質”と“引き際”の重要性。
  • 物事が盛り上がっているときこそ、終わりのタイミングを見極める冷静さが求められる。

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