生を知らずして、どうして死や神を論じられようか
孔子の弟子・季路(きろ)が、あるとき先生に尋ねた。
「神や霊にうまく仕えるには、どうすればよいのでしょうか?」
孔子は即座にこう返す。
「まだ人間にどう仕えるべきかすら十分に学べていないのに、神や霊への仕え方など分かるはずがないよ」
季路はさらに尋ねた。
「では、人の死とは何ですか?」
孔子は静かに、しかし明確に答えた。
「まだ人の生き方についても学びきれていないのに、どうして死の意味まで分かろうか」
このやり取りから見えるのは、孔子の現実主義的な哲学である。
死や神霊といった目に見えないものよりも、まず目の前の人間関係や日々の生き方にしっかり向き合うべきだ、という姿勢だ。
儒教は超自然的な存在よりも、人倫(人と人との関係)を重んじる。
孔子はあえて、「知らない」と語る勇気をもって、学問の順序と深さを説いている。
引用(ふりがな付き)
季路(きろ)、鬼神(きしん)に事(つか)うるを問(と)う。
子(し)曰(い)わく、「未(いま)だ人(ひと)に事(つか)うる能(あた)わず。焉(いず)くんぞ能(よ)く鬼(き)に事(つか)えん」
曰(い)く、「敢(あ)えて死(し)を問(と)う」
曰(い)わく、「未(いま)だ生(せい)を知(し)らず。焉(いず)くんぞ死(し)を知(し)らん」
注釈
- 季路(きろ):孔子の弟子。直情的で率直な質問をすることで知られる。
- 鬼神(きしん):山川の神や祖先の霊を指し、広く「神霊」全般を意味する。
- 事う(つかう):仕える、敬い祀るという意。
- 焉んぞ(いずくんぞ):どうして~できようか、という反語的表現。
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