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他人の親を殺すことは、やがて自分の親を殺すことに通ずる

孟子は、人の親族、とりわけ父や兄といった近親を殺すことの罪の重さを、あらためて深く実感したという。
人の父を殺せば、その報復として自分の父も殺される。兄を殺せば、同じく自分の兄が報いを受ける――これは自分自身が手を下さずとも、結果として自分の家族を殺すこととほとんど変わらない

つまり、個人の暴力は単なる加害にとどまらず、報復という連鎖を生み出し、ついには自分のもっとも大切な人々の命までもを危険にさらすことになる。
それは倫理的にも感情的にも、極めて重い責任を伴う行為であり、「一間(わずかな隔たり)」があるだけで、自らの手による殺害と本質は変わらない。

孟子は、報復を含んだ社会の因果関係の中で、人倫の破壊がいかに深刻なものかを語っている。
それは私たちに、「加害」とは自分と無関係のものではなく、やがて自らに返ってくるものだという深い自覚を促している。


引用(ふりがな付き)

「孟子(もうし)曰(いわ)く、吾(われ)今(いま)にして而(しか)る後(のち)、人(ひと)の親(おや)を殺(ころ)すの重(おも)きを知(し)るなり。人(ひと)の父(ちち)を殺(ころ)せば、人(ひと)も亦(また)其(そ)の父(ちち)を殺(ころ)し、人(ひと)の兄(あに)を殺(ころ)せば、人(ひと)も亦(また)其(そ)の兄(あに)を殺(ころ)す。然(しか)らば則(すなわ)ち自(みずか)ら之(これ)を殺(ころ)すに非(あら)ざるや、一間(いっけん)のみ」


注釈

  • 親を殺すの重き…近親(特に父兄)を殺す罪は、儒教倫理の中で最も重大な禁忌の一つとされる。
  • 亦(また)其の父を殺す…報復により、自分の家族も殺される。
  • 然らば則ち…一間のみ…自分で直接手を下さなくとも、実質的には自分の責任と変わらない。「一間」は“わずかの差”の意味。
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