この世界には、確かに法則がある。
それは物理の法則に限らず、行いとその結果に関する、目には見えぬ因果の法則もまた同じである。
良き行いには、安らぎと喜びが。悪しき行いには、苦しみや混乱が。どちらも、いずれ必ずその報いが訪れる。
これが「カルマ(業)」の教えである。「行い」と置き換えるとわかりやすい。
「行い」と「結果」は決して無関係ではない。
どのような種を蒔いたかによって、どのような実を刈り取るかが決まる。
人は、日々、数えきれないほどの行いを積み重ねている。
会社での仕事、家族との会話、SNSでの言葉――
それらは一見ささいであっても、確実にカルマとして積み重なっていく。
カルマは、身体だけの問題ではない。
口にした言葉もまたカルマであり、心に抱いた思いもまたカルマである。
たとえ誰にも見られていないとしても、心の中に燃える怒りや妬みも、確かにカルマとなる。
行いには三つある。
真口意(しんくい)
身体の行い、言葉の行い、心の行い。
この三つは、ひとときも休むことなく作用し、やがてふさわしい結果として返ってくる。
「自業自得」とはまさにこのこと。
誰かに裁かれるのではない。己の行為が、己に対して静かに応答してくるのである。
だからこそ、意識的に生きることが要である。何を思い、何を語り、何をなすのか。その一瞬一瞬が、未来をかたちづくっている。
今この瞬間に込めた誠実さこそが、明日を照らす光となる。
カルマの法則は、罰ではない。
気づきと成長を促す、優しい導きである。
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