魯の大夫・孟氏は、曾子の門人である陽膚(ようふ)を司法長官(士師)に任じた。
その任にあたって、陽膚は師である曾子に「どのような心構えを持てばよいか」と問うた。
曾子はこう答えた。
「今の世の中は、為政者が道を失い、民衆の心はすでに長く乱れている。
その中で起こる犯罪には、政治の責任が一部ある。
だからたとえ被疑者が罪を認めたとしても、
その心情をくみ取り、哀れみの心を持って接するべきである。
決して、それを手柄として誇ってはならない。」
司法とは、冷たい処断ではなく、社会全体の背景と個人の苦しみへの理解をもとに
哀しみと共感をもって向き合うこと。
この章は、法の運用における人間味と責任感を強く教えている。
原文と読み下し
孟氏(もうし)、陽膚(ようふ)をして士師(しし)たらしむ。曾子(そうし)に問う。
曾子曰(い)わく、上(かみ)、其の道(みち)を失い、民(たみ)散(さん)ずること久し。
如(も)し其の情(じょう)を得(え)んとせば、則(すなわ)ち哀矜(あいきょう)して喜(よろこ)ぶこと勿(なか)れ。
意味と注釈
- 士師(しし):
司法長官。法律の執行・裁きの責任者。 - 上、其の道を失い:
為政者が正道を外れており、政治の徳を失っている状態。 - 民、散ずること久し:
民衆の生活が困窮し、道徳が廃れ、社会秩序が乱れている様子。民心の離反。 - 如し其の情を得んとせば:
もし罪を犯した者の「本当の事情」や「心情の深層」を理解しようとするのであれば。 - 哀矜して喜ぶこと勿かれ:
その人の苦しみに哀れみを抱き、決して摘発したことを喜んだり、自分の功績と考えてはいけない。
パーマリンク(英語スラッグ)
justice-with-compassion
他の候補:
do-not-rejoice-in-punishment
understand-before-you-judge
law-must-have-heart
この章句は、裁く立場にある者こそ、他者の境遇や苦しみに心を寄せるべきだという
深い倫理観と責任感を語っています。法と心の両立という古くて新しい課題への回答でもあります。
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