―『貞観政要』巻三より
🧭 心得
法は形式ではなく、情理と人間性に寄り添うものでなければならない。
貞観五年、太宗は司法制度の運用における形式主義を厳しく戒め、「律文のみに拠って罪を定めてはならない。人の心と情状を酌むことこそ、真の司法のあり方だ」と詔を発した。
都の官署では、死刑判決を“三回奏上した”と称しながら、実際には一日で処理を済ませる実態があり、太宗はそれを「再考する余地がない形式的な報告」として厳しく批判。
以後、都では五奏・二日間、地方では三奏を義務づけ、さらに死刑相当でも情状酌量の余地があれば、門下省で慎重に再審し、報告することを制度化した。
🏛 出典と原文
貞觀五年、詔(みことのり)して曰(いわ)く:
「在京(ざいけい)諸司(しょし)、比来(ひごろ)死囚(ししゅう)を奏决(そうけつ)するに、三たび審(しん)したると雖(いえど)も、一日(いちじつ)にして了(おわ)る。都(すべ)て未(いま)だ暇(いとま)無くして審思(しんし)せず、三奏(さんそう)と称(しょう)するも、何の益(えき)かあらん。
縱(たと)い悔(く)い有(あ)らんも、亦(また)復(ふたた)び爲(な)し得(う)る無し。自今以後(じこんいご)、在京諸司(ざいけいしょし)の死囚奏决(そうけつ)には、宜(よろ)しく二日中に五奏すべし。天下諸州(しょしゅう)は三奏とせよ」。
また手詔(しゅしょう)して勑(みことのり)して曰く:
「比来(ひごろ)有司(ゆうし)の断獄(だんごく)、多くは律文(りつぶん)に拠(よ)り、情在りて可(かな)しとすべきも、あえて法(ほう)を離れず。
文(もん)を守りて罪(つみ)を定むるは、惑(まど)いて理(ことわり)を失うこと有り。自今以後、門下省において再審し、たとえ律により死刑とするも、情状酌量すべき者あらば、報告書を作成して奏聞すべし」。
🗣 現代語訳(要約)
都の官署では「三回取り調べた」として死刑判決を一日で下していたが、太宗は「これでは慎重な審理とは言えない」と断じ、都では二日にわたり五回の奏上を義務づけた。また、たとえ法律上死罪に該当しても、情状を考慮すべき場合はその旨を詳述して再審・報告することを命じた。
📘 注釈
- 奏决(そうけつ):官署が死刑判決を奏上し、皇帝が裁可すること。
- 五奏・三奏:死刑執行前に、複数回にわたって皇帝へ奏上する制度。「五奏」制度は特に慎重さを要するものとして定着。
- 門下省(もんかしょう):詔勅の合法性・合憲性を審査する中枢機関。
- 守文定罪(しゅぶんていざい):律の字句だけに従って罪を決めること。太宗はこれを**「理(ことわり)を失う」**として警告。
🔗 パーマリンク案(英語スラッグ)
justice-needs-mercy
(主スラッグ)- 補足案:
law-is-not-enough
/beyond-the-letter
/truth-with-compassion
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