孔子は人生の在り方について、こんな比喩を用いて語った。
「たとえば山を築くとしよう。
あと一簣(き:土を一杯入れたかご)で完成というところまできても、
自分が手を止めれば、結局それは未完成で終わる。
また、土地をならす作業でも、たとえたった一簣しか土をかけなかったとしても、
それをやった分だけ確実に前に進む。
つまり、進むも止まるも、すべては“自分次第”なのだ」
この章句は、結果が出ない理由を他人や環境のせいにせず、自分の姿勢を問えという、非常に実践的で力強いメッセージを含んでいる。
「あと少しで完成するのに諦めてしまう」のも、
「ほんの一歩でも地をならして進む」のも、
自分が“やる”か“やめる”かを選んでいるにすぎない。
つまり、成功も停滞も、外ではなく内に理由がある。
原文(ふりがな付き)
「子(し)曰(いわ)く、譬(たと)えば山(やま)を為(つく)るが如(ごと)し。未(いま)だ成(な)らざること一簣(いっき)なるも、止(や)むは吾(われ)止(や)むなり。譬(たと)えば地(ち)を平(たい)らにするが如(ごと)し。一簣(いっき)を覆(くつがえ)すと雖(いえど)も、往(すす)むは吾(われ)往(すす)むなり。」
注釈
- 簣(き)…竹かご。ここでは「土を一杯入れた量」のこと。労力の最小単位のたとえ。
- 山を為る…大きな仕事・目標に取り組むことの象徴。
- 止吾止也(やむはわれやむなり)…「やめたのは、他でもない自分だ」という自己責任の認識。
- 覆一簣(いっきをくつがえす)…ごくわずかな進歩でも、自分が前へ進めたことには変わりない。
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