噂や境遇に惑わされず、徳の本質を見極める目を持つ
孔子は、人物を判断する際に世間の評判や一時的な状況に左右されることなく、
その人の「本質」に目を向けていた。
公冶長は一見すると犯罪の嫌疑で獄中にあったが、孔子は「彼に罪はない」と確信し、
自分の娘を嫁がせるほどに信を寄せた。
また南容についても、時代が正しければ公に仕え、乱れていれば自らを慎んで災いを避ける賢者として認め、
兄の娘を嫁がせている。
これは単なる親しみの情ではなく、
「噂ではなく実行」「肩書ではなく徳」――そうした判断軸を持ってこそ、真の人を見る目が養われるという教えである。
原文とふりがな付き引用
子(し)、公冶長(こうやちょう)を謂(い)う。妻(めあわ)すべきなり。縲絏(るいせつ)の中に在(あ)りと雖(いえど)も、其(そ)の罪(つみ)に非(あら)ざるなり、と。其の子を以(もっ)て之(これ)に妻わす。
子、南容(なんよう)を謂う。邦(くに)に道有(みちあ)れば廃(すた)れず、邦に道無(みちな)くも、刑戮(けいりく)より免(まぬか)る、と。其の兄の子を以て之に妻わす。
世間の評価に流されるな。
誠実な眼差しと信念をもって、人を見よ。
注釈
- 縲絏(るいせつ)…縄で縛られている意。転じて獄中、投獄を意味する。
- 罪に非ざるなり…その嫌疑は事実ではない、本来の人格には瑕疵がないという孔子の確信。
- 邦に道有れば廃せられず…世が正しければ、彼のような人物は必ず評価される。
- 邦に道無くも刑戮より免る…世が乱れても、自らを慎み、処罰されるような過ちは犯さない。
- ※南容(南宮适)は特に礼儀と慎み深さで知られる門人。
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