「共に築き、共に喜ぶ──民と偕に楽しむ心が組織を育てる」
孟子は、前章で「賢者にして後これを楽しむ」と述べたが、今回はさらに一歩踏み込み、「賢者とは人とともに楽しむ者である」と説く。
彼は『詩経』の「霊台の篇」を引用し、周の文王がいかにして民の心を得て、見晴らし台や庭園を築いたかを語る。文王は民に対して急がせることなく、民は文王を親のように慕って、自発的に楽しみながら台を築いた。
完成した「霊台」や「霊沼」には、美しい鹿や白鳥、魚が集い、王も民もその自然を共に楽しんだ――このように、古の賢人は、民とともに楽しむからこそ、真に喜びを味わうことができたのだ。
政治の美徳と共感の根本原理
この章では、政治の本質が「民とともにあること」であり、王が一方的に享受するのではなく、共に喜びを創り出すことで初めて“徳”が実感されるのだと説かれる。
文王のようなリーダーは、民の努力を促すのではなく、民が喜んで参加したくなるような在り方を示す。これは現代の組織運営やリーダーシップにも深く通じる。
「偕楽園(かいらくえん)」の名前の由来がこの言葉にあることからも、日本文化に与えた影響の深さがうかがえる。
原文
詩云、經始靈臺、經之營之、庶民攻之、不日成之。經始勿亟、庶民子來。
王在靈囿、麀鹿攸伏、麀鹿濯濯、白鳥鶴鶴。
王在靈沼、於牣魚躍。王以民力為臺為沼、而民歡樂之。
謂其臺曰靈臺、謂其沼曰靈沼、樂其麋鹿魚鼈。
古之人與民偕樂、故能樂也。
書き下し文(ふりがな付き)
詩(し)に云(い)う、霊台(れいだい)を経始(けいし)し、之(これ)を経(けい)し之を営(えい)す。
庶民(しょみん)之を攻(せ)め、日(ひ)ならずして之を成(な)す。
経始(けいし)亟(せ)かにすること勿(なか)れと。庶民子(こ)のごとく来(きた)る。
王(おう)霊囿(れいゆう)に在(あ)れば、麀鹿(ゆうろく)伏(ふ)する攸(ところ)、麀鹿濯濯(たくたく)たり。
白鳥(はくちょう)鶴鶴(かくかく)たり。王霊沼(れいしょう)に在れば、於(ゆた)かにして魚(うお)躍(おど)る。
文王(ぶんおう)民力(みんりょく)を以(もっ)て台(たい)を為(つく)り沼(しょう)を為り、而(しか)して民之(これ)を歓楽(かんらく)す。其(そ)の台を謂(い)いて霊台(れいだい)と曰(い)い、其の沼を謂いて霊沼(れいしょう)と曰い、其の麋鹿(びろく)魚鼈(ぎょべつ)有(あ)るを楽しむ。
古(いにしえ)の人は民と偕(とも)に楽しむ。故(ゆえ)に能(よ)く楽しむなり。
現代語訳(逐語・一文ずつ訳)
- 「詩に云う、霊台を経始し…」
→ 『詩経』にはこう記されている。「霊台の建設を始め、設計・施工がなされ、庶民がこれに協力し、短期間で完成した。」 - 「経始するに亟くすることなかれ。庶民、子のごとく来たる」
→ 「建設の開始は急がず、庶民は子どものように喜んで集まってきた。」 - 「王、霊囿に在れば…」
→ 王が霊囿(自然保護区)にいれば、牝鹿が伏し、毛艶が美しく、白鳥が鳴きわたる。 - 「王、霊沼に在れば…」
→ 王が霊沼にいれば、魚が満ち、跳ねている。 - 「王、民の力を以て台を為り、沼を為る。而して民これを歓楽す」
→ 王は民の労力によって霊台・霊沼を作ったが、民もこれを喜んで楽しんだ。 - 「古の人は民と偕に楽しむ。故に能く楽しむなり」
→ 古の賢い王は民と共に楽しんだからこそ、真に楽しむことができたのだ。
用語解説
- 詩:『詩経』。中国最古の詩集で、儒家の重要な経典。
- 霊台(れいたい):王が建てた楼閣や台所。国家の象徴でもあり、礼楽の舞台。見晴らし台。文王の徳があって築かれた場所という意味で「霊」と名づけられた。
- 霊囿(れいゆう):王族専用の苑囿(庭園や狩猟場)。自然の象徴。
- 霊沼(れいしょう):王の沼。豊かな水辺の自然。
- 麀鹿(ゆうろく):牝鹿。自然の安穏や繁栄の象徴。
- 濯濯(たくたく):つややかで美しいさま。
- 鶴鶴(かくかく):鳥の鳴き声が澄んでいるさま。
- 鼈(べつ):スッポン。魚類・両生類の象徴。
- 偕に楽しむ(ともにたのしむ):共に喜びを分かち合うこと。儒家の理想的政治観の一つ。
全体の現代語訳(まとめ)
『詩経』に曰く、王が霊台の建設を始めたとき、庶民は喜んで協力し、短期間で完成させた。王が自然豊かな苑囿に出向けば、鹿や鳥たちがそこに安らぎ、沼では魚が跳ねる。
王はこれらの建設を民の力によって実現したが、民はそれを喜び、心から楽しんでいた。
なぜなら、王が民と共に楽しんだからこそ、王自身も本当の意味で楽しむことができたのである。
解釈と現代的意義
この章句は、「民と共に楽しむことが、真のリーダーの喜びである」という孟子の政治観を鮮やかに表している。
王が独りよがりに贅沢をしているのではなく、民衆の幸福や協力の上に成り立つ楽しみであれば、それは正当なものであると説いている。
孟子は『詩経』を引用して、理想的な王政が民衆と王の心が一体となっていたことを示し、現代の「共生・協働」の在り方にまで通じる倫理観を説いている。
ビジネスにおける解釈と適用
「一緒に苦労し、一緒に喜ぶ」組織文化の重要性
リーダーや経営者が成果だけを独占していては、社員のやる気は失われます。
成果や報酬は「皆で共有する」からこそ、真に楽しいものとなり、組織全体の士気が上がります。
「民と偕に楽しむ」姿勢が、信頼と共感を生む
顧客、社員、取引先など、関係者全員に価値を分かち合う企業活動は、ブランド力や信頼性を高めます。
CSRやESG的な経営の基本姿勢とも言えるでしょう。
プロジェクト成功の真価は「共に喜べるか」にある
プロジェクトの打ち上げ、報奨、感謝の表現が「共に苦労した者たち」全員に行き渡る仕組みは、次の成功への連動となる。
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