どんな人の中にも、大いなる慈悲――仏の心が宿っている。
たとえそれが、菩薩と讃えられた維摩居士のような聖者であっても、
あるいは牛馬を解体する者や、罪人の首をはねる者であっても、
その本心には“二つの心”などなく、等しく慈悲の種が宿っている。
また、人生の喜びや味わいというものは、
豪華な邸宅にも、粗末なかやぶき屋にも、等しく宿っている。
本来、場所や境遇の違いによって左右されるものではない。
それなのに、人は目の前の欲望や感情に目がくらみ、
真の喜びを見失ってしまう。
手の届くところにあるものを、
「まだ遠くにある」と錯覚して追い求め、
気づかぬまま、心は千里のかなたへとさまよってしまう――。
幸福とは、今いる場所で、今の自分の心でこそ見つけるものなのだ。
「人人(にんにん)に個(こ)の大慈悲(だいじひ)有(あ)り。維摩(ゆいま)・屠劊(とかい)も二心(にしん)無(な)きなり。
処処(しょしょ)に種(しゅ)の真趣味(しんしゅみ)有り。金屋(きんおく)・茅簷(ぼうえん)も両地に非(あら)ざるなり。
只(ただ)是(これ)れ欲(よく)蔽(おお)い情(じょう)封(と)じ、当面(とうめん)に錯過(さっか)して、
咫尺(しせき)をして千里(せんり)ならしむ。」
注釈:
- 大慈悲(だいじひ)…仏教における究極の愛。すべての生きとし生けるものを救おうとする心。
- 維摩(ゆいま)…在家でありながら仏教の奥義を極めた人物。『維摩経』の主役。菩薩の化身とされる。
- 屠劊(とかい)…屠は屠殺者、劊は死刑執行人。世俗的に「穢れ」とされる職業の代表だが、それでも慈悲の心を失わない。
- 金屋・茅簷(きんおく・ぼうえん)…前者は富裕で豪華な家、後者は貧しく粗末な住まい。どちらに住んでも人生の本質には関係ない。
- 咫尺(しせき)…ごく近いこと。目の前の距離。
- 千里(せんり)…遥か遠く。距離的・心理的な隔たり。
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