1. T社の成功と売上拡大の可能性
T社は、冠婚葬祭用品を扱う専門店である。しっかりとした優良企業であり、売上データもきちんと整備されている。品目別の年間売上グラフを見ると、売上上位の品目ほど成績が良いことがわかる。
こうした品目には、さらに売上を拡大する可能性が秘められていることを、私は長年の経験から理解している。
その一例が在庫管理の戦略である。特に、売上上位の品目で品切れが多発するのがよく見られるケースである。
2. 在庫管理と売上促進
私は、売上上位の2品目について、売上高ABC分析表でナンバーワンからナンバースリーまでの在庫を、試験的に3倍に増やしてみてはどうかと提案した。
そのため、これらのアイテムの在庫を一時的に増加させたとしても、在庫を正常化したい場合には、1〜2か月ほどその商品の仕入れを控えれば、すぐに在庫は元の状態に戻る。したがって、在庫増加によるリスクを心配する必要はない。
仮に在庫を1億円増やしたとしても、金利は年8%で年間800万円、月に換算するとわずか67万円に過ぎない。T社長はその点を理解し、実行に移す力も素晴らしく、すぐにテストを開始した。
まず驚いたのはメーカー側である。突然、従来の3倍の注文が入ったため、戸惑いや不安が広がり、小さなパニック状態になったという。しかし、T社長の説明により、メーカー側も状況を理解し、納得した。
ところが、驚くべきことが起こった。3倍仕入れたはずの商品なのに、在庫が思ったように増えないのである。
増加した分の仕入れがそのまま売れてしまうのだ。そしてこの状況が毎月続いた。これまで品切れが起こることはなかった上位商品にもかかわらず、売れ行きが一層加速していたのである。
だからこそ、「不思議だ」というわけだ。この現象の原因は「心理学」でしか説明できない。
私が常に「事業経営には心理学の理解が不可欠だ」と主張しているのは、まさにこういったケースがあるからなのだ。
3. 在庫恐怖症とその影響
T社の場合、ひと言でいえば「在庫恐怖症」に陥っていたのである。
T社のケースを振り返ると、売れ筋商品をたくさん仕入れているつもりでも、在庫恐怖症が影響し、どうしても仕入れ数が不十分にとどまっていたのだ。
仕入れ不足に気づかなかった理由は、例えば在庫が100しかない商品に30の注文が入った場合、残りが70となり、他のお客様からの多くの注文に応えられなくなるためである。そこで、「在庫が少ないので10しかお売りできません」と販売を制限していたのだ。
これがまさに「心理学」の作用であり、調査の結果、それが実証された。
十分な仕入れを行ったことで販売制限の必要がなくなり、結果として売上が急増したのだ。
つまり、「潜在的な品切れ」が解消され、顧客の需要に十分応えられるようになったのである。
4. 在庫管理と仕入れ管理
在庫恐怖症の原因は、不良在庫がいつの間にか増えて金利負担が大きくなるだけでなく、倉庫スペースを大きく占有してしまう現象にある。
これは、在庫管理が不十分なのではなく、仕入れ管理がうまく機能していないことに起因しているのだ。
さらに、仕入れ管理を正しく理解している企業は驚くほど少ない。
詳細については拙著、経営マニュアル実例集『社長のための在庫管理・購買管理』を参照いただきたい。目を見張る効果が多くの実例で証明されており、しかも鼻歌まじりでできるほど簡単である。
在庫恐怖症にかかると、ただ闇雲に在庫削減を図るようになりがちである。特に、経理担当者や社長がこの傾向に陥りやすく、重症化することが多い。
困ったことに、経理担当者は在庫削減こそが会社の利益を増大させる方法だと信じ込んでいる。なぜなら、在庫削減以外の利益改善策についてはほとんど知識がないからである。
ここに大きな危険が潜んでいる。どれほど有効な販売促進策であっても、経理の「それは金利負担が増えますよ」という一言で潰れてしまうことがある。しかも、その金利負担が実際にどれほど増えるかを計算せずに、である。
これは経理担当者の責任ではなく、在庫に対する正しい考え方を学ぼうとしない社長に全責任があると言える。
5. POSとジャスト・イン・タイムの誤解
在庫に対する正しい認識がないまま、ただ闇雲に在庫削減を進めようとする。そのため、在庫を減らすシステムが開発されたと聞くと無批判に飛びつき、結果として売上不振という大きな痛手を負ってしまう。
代表的な例が「POS」や「ジャスト・イン・タイム(JIT)」の導入である。
この二つの誤った理論がもたらす弊害は、想像以上に大きい。しかし、その問題に気づく人は非常に少ない。その背景には、在庫恐怖症が根強く影響しているのである。
POSは、当初はゆっくりと広まり始めたが、ある大手スーパーが採用したことで急速に普及した。
導入の動機は「在庫節減」だったようだが、もしそれが本当であれば大きな誤りである。POSの目的は販売促進にあるべきで、在庫削減を狙うのは本末転倒だ。
その結果、POSを採用した多くの小売店で売上の停滞が相次いだのである。なぜこのような事態に陥ったのか――それは、POSの本質的な欠陥に起因している。
6. POS導入の問題とその本質的欠陥
あるPOS導入店舗で、あるお客様が気に入ったスプーンを見つけた。五本欲しいと思ったが、棚には一本しかない。そこで店員に「五本欲しいのですが」と尋ねたところ、「予約していただく形になります」との返答だった。
そのお客様はあきれて、スプーンを買うのをやめてしまった。これは在庫節減という至上命令のために、売場の陳列数が減らされていたことが原因である。
POSの主な欠陥は以下の通りである。
- 陳列品の数を減らすことで、売場で品切れを起こし、売上機会を逃す(売損)が発生しやすい。
- POSでは売損を全く把握できない。
- 配送センターにはPOSが指示する商品が未入荷の場合が多く、指示通りの配送が行えないことが日常茶飯事となっている。
本節で例に挙げた大手スーパーでPOSが成功したのは、こうした問題がある中で、配送請負業者が欠品をすべて手作業で確認し、入荷次第配送するという非常に手間のかかる作業を人海戦術で行ったからである。多くの人々は、この裏側の作業を全く見落としている。
ある菓子メーカーでは、得意先のスーパーがPOSを導入した途端、注文が減り始めた。不審に思い店舗を訪れてみると、商品が品切れしている棚が目立っていた。
店長に状況を伝えると、「分かっているが、POSの指令がないとどうしようもない。管理本部に訴えても効果がないんです」という返答だった。
メーカーの社長は頭を抱えるばかりだった。POSを採用する得意先が次々と増えていくからである。
4.POSでは、その会社が取り扱っていない商品の情報は取得できない。
別途、情報収集を行わなければならず、つまりPOSとは無関係である。逆に、「我が社はこんなにも多くの商品情報を収集している」と思い込み、実際の商品情報の収集を怠る危険が生じる。この危険は特に、ほとんどのスーパーが定番外の商品を取り扱わないという硬直した態度を取っているため、大きな問題となる。
5.POS導入に伴う新たな費用(増分費用)が見過ごされていることが多い。
POSがその費用を簡単に埋めてしまうと考えられているが、実際にはコンピューターは意外にも「金喰い虫」である。
システムの維持やアップグレード、データ管理にかかる費用など、予想以上に多くのコストが発生するため、その点も十分に考慮しなければならない。
そのため、POSの導入に関しては、どうしてもマイナスの面ばかりが目についてしまうのである。
POSとジャスト・イン・タイムは結局、在庫削減による金利負担の軽減を狙った手法だが、これは在庫と金利に関する大きな誤解に基づいている。
実際には、在庫削減が必ずしも金利負担の軽減につながるわけではなく、むしろ需要に応じた適切な在庫管理が求められる。
在庫に金利がかかるのは、「締切日」現在の在庫に対してであり、常時在庫に金利がかかるわけではない。
そのため、POSやジャスト・イン・タイムで常時在庫を減らすことには意味がなく、むしろそのためにかかる費用が増えるだけである。適切な在庫管理の方が、効率的な経営を実現するためには重要である。
常時在庫は、資金管理とは関係なく、むしろスペース管理の問題であるという正しい認識を持たなければならない。
在庫の適正な管理は、物理的なスペースや効率的な保管方法に基づいて行うべきであり、資金の流動性を意識する必要があるのは、主に「締切日」現在の在庫に対してである。ところが、これが理解されていない場合が多い。
ある大手スーパーでは、厨房用品を供給しているメーカーに対し、二ヶ月に一回の納入を午前と午後の二回に分けて行うよう指示している。このような無駄な指示には、思わずその判断力を疑いたくなるではないか。
7. 経営戦略における心理学的要素
私が経営戦略の本の中でこのようなことを書くのは、事業経営に関する理論や文献には心理学的な側面がほとんど触れられていないからである。
しかし、現実には人間の心理は非常に多様で、さまざまな事柄に対して様々な反応や行動を示すことを理解してもらいたいためである。
教訓
- 売上高ABC分析表でナンバーワンからナンバースリーまでの在庫を、試験的に3倍に増やしてみてみる。
- これらのアイテムの在庫を一時的に増加させたとしても、在庫を正常化したい場合には、1〜2か月ほどその商品の仕入れを控えれば、すぐに在庫は元の状態に戻る。したがって、在庫増加によるリスクを心配する必要はない。
- 増加した分の仕入れがそのまま売れてしまうのだ。売れ行きが一層加速していたのである。
- 事業経営には心理学の理解が不可欠だ
- 売れ筋商品をたくさん仕入れているつもりでも、在庫恐怖症が影響し、どうしても仕入れ数が不十分にとどまっていた
- 十分な仕入れを行ったことで販売制限の必要がなくなり、結果として売上が急増したのだ。「潜在的な品切れ」が解消され、顧客の需要に十分応えられるようになった。
- 在庫恐怖症にかかると、ただ闇雲に在庫削減を図るようになりがちである。特に、経理担当者や社長がこの傾向に陥りやすく、重症化することが多い。
- 経理担当者は在庫削減こそが会社の利益を増大させる方法だと信じ込んでいる。なぜなら、在庫削減以外の利益改善策についてはほとんど知識がないからである。
- 導入の動機は「在庫節減」だったようだが、もしそれが本当であれば大きな誤りである。POSの目的は販売促進にあるべきで、在庫削減を狙うのは本末転倒だ。
- 実際にはコンピューターは意外にも「金喰い虫」である。システムの維持やアップグレード、データ管理にかかる費用など、予想以上に多くのコストが発生するため、その点も十分に考慮しなければならない。
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