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志を金銭で買おうとすることこそ、最大の侮辱である

孟子が辞職して帰郷した後、斉王は改めて弟子の時子を通じて、孟子に莫大な禄(万鐘)と名誉を提供する意向を伝えさせた。
その王の思いを弟子の陳子が孟子に伝えると、孟子はこう語る:

「そうか、それはわかった。だが時子には、なぜ私を引き止められないか、わかるはずがない」

そして、孟子は次のように核心を語る:

「もし私が富を欲していたならば、かつての十万鐘の禄を辞めることはなかったはずだ。
今になって一万鐘の禄を受けて心が動くとでも?――そんなことで私の志が動くはずがない

孟子は道義の人であり、王道の実現を目指して仕えていたのであって、金や地位が目的ではなかった。
つまり、志(こころざし)は金銭では買えないというのが孟子の一貫した立場である。


目次

富貴を欲するのは人の情、だが「独り占め」は卑しい

続けて孟子は、ある逸話を引き合いに出す。それは、ある人物**季孫(きそん)**が語った、**子叔疑(ししゅくぎ)**という人物への批判である。

「子叔疑は、最初は自分が卿(高官)として政務を行っていた。
ところが後に政から退いた後、自分の子弟を卿に据えた。
誰もが富や地位を求めるのはわかる。だが、すでに自分が富貴の中にありながら、
さらに利益を**“壟断(ろうだん)”=独占しようとするのは、見苦しい行為だ**」

孟子はこれを引いて、自分が何より嫌うのは、権力や地位を私利私欲のために利用する姿勢であることを示している。
つまり、孟子の辞職は、王の徳が改まらず、私利に堕していく政治に加担したくないという道義的決断だったのだ。


原文(ふりがな付き引用)

陳子(ちんし)、時子(じし)の言(げん)を以(も)って孟子(もうし)に告(つ)ぐ。

孟子曰(い)わく、然(しか)り。夫(そ)れ時子(じし)、悪(いず)くんぞ其(そ)の不可(ふか)なるを知らんや。

如(も)し予(われ)をして富(と)むるを欲(ほっ)せしめば、十万(じゅうまん)を辞(じ)して万(ばん)を受(う)く。
是(こ)れ富(と)むるを欲(ほっ)すと為(な)さんや。

季孫(きそん)曰(い)わく、異(い)なるかな、子叔疑(ししゅくぎ)よ。
己(おのれ)をして政(まつりごと)を為(な)さしむ。用(もち)いられざれば、則(すなわ)ち亦(また)已(や)まん。
又(また)其(そ)の子弟(してい)をして卿(けい)たらしむ。

人(ひと)亦(また)孰(たれ)か富貴(ふうき)を欲(ほっ)せざらんや。
而(し)て独(ひと)り富貴(ふうき)の中(うち)に於(お)いて、**壟断(ろうだん)**を私(わたくし)にする有(あ)り。


注釈(簡潔な語句解説)

  • 十万鐘を辞して万鐘を受く:以前の莫大な禄を断った自分が、今さらそれ以下で心が動くことなどあり得ないという強い自負。
  • 壟断(ろうだん):利益の独占。語源的には「小高い丘に立って土地を一人で囲い込む」意から転じて、私利を独り占めにする意味。
  • 季孫・子叔疑:どちらも実在か不明の人物だが、ここでは“志なき利欲者”の象徴として用いられている。
  • 人亦孰か富貴を欲せざらんや:『論語』を踏まえた言葉。「富と貴きは人の欲するところなり、しかし義を以て得ざれば、処らざるなり」。

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この章は、孟子の一貫した「道義第一主義」を貫く姿勢を最も強く象徴する場面のひとつです。
志ある者は、たとえ誰からの名誉や金銭であろうと、道に反する誘いには決して屈しない。孟子の精神は、今なお私たちの社会に重要なメッセージを与えてくれます。

1. 原文

陳子以時子之言告孟子。
孟子曰:「然。夫時子惡知其不可也?
如使予欲富,辭十萬而受萬,是為欲富乎?」

季孫曰:「異哉子叔疑!使己為政,不用則亦已矣,
又使其子弟為卿。人亦孰不欲富貴?
而獨於富貴之中,私龍斷焉!」


2. 書き下し文

陳子、時子の言を以て孟子に告ぐ。

孟子曰く、
「然り。夫(そ)れ時子、悪(いずく)んぞ其の不可なるを知らんや。
もし予をして富を欲せしめば、十万を辞して万を受く。
是れ富を欲すと為(な)さんや。」

季孫曰く、
「異なるかな、子叔疑。己をして政を為さしめ、用いられざれば則ち亦た已(や)まん。
又た其の子弟をして卿と為さしむ。

人、また孰か富貴を欲せざらんや。
而して独り富貴の中において、龍断を私する有り。」


3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)

  • 陳子は、時子の言葉を孟子に伝えた。
  • 孟子は言った:
    • 「そうか。しかし、時子はどうして“それが不可能である”ことを理解していないのか。
    • もし私が“財を求める”人間だったなら、十万(の俸禄)を断っておいて、万(の俸禄)を受け取るだろうか?
       それが“富を求める”態度だろうか?」
  • 季孫が言った:
    • 「子叔疑(ししゅくぎ)という人は実に不思議だ。
    • 自分を政(まつりごと)に用いさせようとする。用いられなければそれでよいはずだ。
    • にもかかわらず、自分の子弟を高位につけようとする。
    • 誰だって富貴を望まない人はいない。
    • だが、この人はその“富貴の中で”、自分の利益のために“裁断権(=判断・決定権)”を私物化している!」

4. 用語解説

  • 時子(じし):斉の大臣。王の意を孟子に伝えた人物。
  • 陳子:時子の発言を孟子に伝えた使者。
  • 辞十万而受万:莫大な報酬を断っておきながら、わずかな俸禄を受ける。矛盾した振る舞い。
  • 季孫:孟子と同時代の賢者。ここでは第三者的に子叔疑の行動を批判。
  • 子叔疑(ししゅくぎ):実名不詳だが、己の地位を求めるだけでなく一族の地位も画策する人物として批判されている。
  • :高位の大臣。
  • 龍断(りょうだん):もとは“裁断の権限”を意味する。ここでは「自分の思い通りに物事を決められる権力・地位」。

5. 全体の現代語訳(まとめ)

時子の伝言を受けて、孟子はこう言った:
「私が財産を求める人間ならば、十万の報酬を断って万を受け取ることなどしない。
そんな小手先の取引をしているようでは、真に“富を求める”とは言えないだろう。」

それを聞いて、季孫はこう付け加える:
「子叔疑という男は奇妙だ。政を任されたいと望んで用いられないと引くような態度を取るくせに、
自分の子弟を高位に押し込もうとする。誰だって富や権力を欲しがるものだが、
この男は、その富貴の中で“決定権”を私物化している。まさに傲慢そのものだ!」


6. 解釈と現代的意義

この章句は、「富貴を求めること自体が悪いのではない。しかし、道義を超えて私物化することが問題だ」という孟子の姿勢を明確に伝えています。

孟子はあくまで「仁義に基づく仕官」を目指しており、金銭や地位の多寡ではなく、**“それが正しく得たものかどうか”**が問題だとする道徳観を貫いています。

一方で季孫のコメントは、表向きは引いて見せながら裏では地位や権限を得ようとする人物への厳しい批判。現代にもよくある“ポジション争い”や“建前と本音の乖離”を浮き彫りにします。


7. ビジネスにおける解釈と適用

✅ 「富と地位は手段であって、目的ではない」

  • 給料や役職は、あくまで「何を成すか」に付随して与えられるべきもの。
  • それを目的とした動きは、組織の文化を壊す。

✅ 「判断権を私物化する人材は、組織の害」

  • 龍断=決定権を“自分の利益のため”に使う人は、組織の信頼と公正性を損なう。
  • 公正なプロセスを尊重できる人材が、リーダーにふさわしい。

✅ 「誠実な態度は、富よりも信頼を生む」

  • 孟子のように、条件よりも「志と正義」を優先する姿勢は、長期的な信頼と尊敬につながる。
  • 組織は、報酬だけで動く人ではなく、“何のためにそれを受けるか”を考えられる人を育てるべき。

8. ビジネス用の心得タイトル

「富貴より正道──“私益より公益”を貫く人材であれ」


この章句は、「得ること」自体ではなく「どう得たか」こそが人間の品位を決めるという孟子の哲学を端的に示しています。
組織の中での信頼・任用・昇進といったテーマに、倫理と慎みをもって向き合うための金言です。

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