孔子は、二人の人物の姿勢を通して「人としてのあり方の違い」を称賛した。
史魚(しぎょ)は、国に道(正義・正道)があろうとなかろうと、矢のようにまっすぐに真実を貫く人。
正しいと思えば、たとえ危険があっても躊躇せず行動する。その実直さは、状況に左右されない強さである。
一方、蘧伯玉(きょはくぎょく)は、国に道があればその力を発揮し、道がなければ自らを静かに退き、
その才を胸にしまう。時勢を見極めて動く、その柔らかくもしなやかな君子の姿。
真実をまっすぐ貫く者と、時を見て徳を守る者。どちらも、人格の気高さを示す道である。
原文とふりがな
「子(し)曰(い)わく、直(なお)なるかな、史魚(しぎょ)。邦(くに)に道(みち)有(あ)れば矢(や)の如(ごと)く、邦(くに)に道(みち)無(な)くも矢(や)の如(ごと)し。
君子(くんし)なるかな、蘧伯玉(きょはくぎょく)、邦に道有れば則(すなわ)ち仕(つか)え、邦に道無ければ、則ち巻(ま)きて之(これ)を懐(ふところ)にすべし」
注釈
- 史魚(しぎょ):衛の大夫。実直で知られ、孔子もその死に際して「礼をもって葬るべきだ」と述べた。
- 矢の如く:まっすぐに進むさま。筋を通し、妥協しない態度。
- 蘧伯玉(きょはくぎょく):衛の政治家。時勢を見て、自らを控えつつ道を守る知徳の人。
- 巻きて之を懐にす:自分の才を包み隠して懐にしまうこと。出るべきでないときは、徳を内に収めて控えるという意味。
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(誠実さと時機)straight-like-an-arrow
(矢のように真っ直ぐ)wisdom-in-restraint
(控えにこそ知恵あり)
この章句は、**「正しさを貫く勇気」と「時を待つ賢さ」**という、対照的ながらどちらも尊ばれる生き方を示しています。
現代の組織や社会においても、異なる役割やスタンスの価値を見直す指針となる言葉です。
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