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静寂の中でこそ、本当の自分に出会える

夜が更け、あたりが静まりかえるとき――
独り坐り、心の奥を見つめれば、雑念や妄想が次第に薄れ、
本来の純粋で澄んだ心が静かにあらわれてくる。
この沈思黙考の時間の中で、自在な心の働きの可能性に気づき、
同時に、邪念を完全には消せない自分にも気づかされ、
そこから深い懺悔の念と、さらに高みを目指す心が生まれる。
瞑想は、真実の心と向き合う尊い道である。


「夜深(よふ)く人(ひと)静(しず)まれるとき、独(ひと)り坐(ざ)して心(こころ)を観(み)ずれば、
始(はじ)めて妄(もう)窮(きわ)まりて真(しん)独(ひと)り露(あら)わるるを覚(おぼ)ゆ。
毎(つね)に此(こ)の中(なか)に於(お)いて、大機趣(だいきしゅ)を得(う)。
既(すで)に真現(あらわ)れて妄の逃(のが)れ難(がた)きを覚ゆれば、
又(また)此の中に於いて、大慚忸(だいざんじく)を得。」


注釈:

  • 心を観ずれば…仏教的瞑想の実践。「観心」とは、内省して本心を観ること。
  • 妄(もう)…雑念や妄想、煩悩。心のにごりや外乱。
  • 真(しん)…純粋で清らかな本来の自己。邪念のない、誠実な心。
  • 大機趣(だいきしゅ)…深く広く、自在に働く精神の境地。応用自在の知恵。
  • 大慚忸(だいざんじく)…深い懺悔と羞恥の念。自らの不完全さへの誠実な気づき。
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