夜が更け、あたりが静まりかえるとき――
独り坐り、心の奥を見つめれば、雑念や妄想が次第に薄れ、
本来の純粋で澄んだ心が静かにあらわれてくる。
この沈思黙考の時間の中で、自在な心の働きの可能性に気づき、
同時に、邪念を完全には消せない自分にも気づかされ、
そこから深い懺悔の念と、さらに高みを目指す心が生まれる。
瞑想は、真実の心と向き合う尊い道である。
「夜深(よふ)く人(ひと)静(しず)まれるとき、独(ひと)り坐(ざ)して心(こころ)を観(み)ずれば、
始(はじ)めて妄(もう)窮(きわ)まりて真(しん)独(ひと)り露(あら)わるるを覚(おぼ)ゆ。
毎(つね)に此(こ)の中(なか)に於(お)いて、大機趣(だいきしゅ)を得(う)。
既(すで)に真現(あらわ)れて妄の逃(のが)れ難(がた)きを覚ゆれば、
又(また)此の中に於いて、大慚忸(だいざんじく)を得。」
注釈:
- 心を観ずれば…仏教的瞑想の実践。「観心」とは、内省して本心を観ること。
- 妄(もう)…雑念や妄想、煩悩。心のにごりや外乱。
- 真(しん)…純粋で清らかな本来の自己。邪念のない、誠実な心。
- 大機趣(だいきしゅ)…深く広く、自在に働く精神の境地。応用自在の知恵。
- 大慚忸(だいざんじく)…深い懺悔と羞恥の念。自らの不完全さへの誠実な気づき。
1. 原文:
夜深人靜、獨坐觀心、始覺妄窮而眞獨露。
每於此中、得大機趣。旣覺眞現而妄難逃、又於此中、得大慚忸。
2. 書き下し文:
夜深く人静まれるとき、独り坐して心を観ずれば、始めて妄(もう)窮まりて真(しん)独り露(あら)わるるを覚ゆ。
毎(つね)に此の中に於いて、大機趣(だいきしゅ)を得。既に真現れて妄の逃れ難きを覚ゆれば、又た此の中に於いて、大慚忸(だいざんじく)を得。
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ):
- 「夜深く人静まれるとき、独り坐して心を観ずれば、始めて妄窮まりて真独り露わるるを覚ゆ」
→ 夜が深まり、周囲が静まったとき、一人静かに座って自己の心を見つめていると、
はじめて心の妄念が尽きて、本来の真実の心がありのままに現れるのを感じる。 - 「毎に此の中に於いて、大機趣を得」
→ そうした中で、しばしば深い気づきや大きな悟りのきっかけ(機趣)を得る。 - 「既に真現れて妄の逃れ難きを覚ゆれば、又た此の中に於いて、大慚忸を得」
→ 真実の自己が明らかになり、妄想や偽りが隠しきれないと感じたとき、
同時に深い恥じらいや反省(慚忸)をも覚える。
4. 用語解説:
- 觀心(かんしん):自らの心を内省すること。自己観察・内省の修行。
- 妄(もう):妄念。虚偽・執着・迷いの心。自己の欲や錯覚。
- 真(しん):真実の心。本来の姿。無垢で純粋な自己。
- 機趣(きしゅ):悟りや気づきの機縁。深い洞察・意味。
- 慚忸(ざんじく):恥じ入り、反省し、顔を赤らめるような内なる羞恥心。
5. 全体の現代語訳(まとめ):
夜が更け、世間が静まり返る中で、ひとり静かに心を見つめていると、
心に渦巻く妄念が静まり、本来の真実の自己が露わになることがある。
その中で、思いがけない大きな気づきや悟りを得ることがあるが、
同時に、これまでの偽りや未熟さに気づき、深く恥じ入り、反省することにもなる。
6. 解釈と現代的意義:
この章句は、**「深い内省によってこそ、自己の本質に出会える。そしてその真実の前に立ったとき、初めて本当の気づきと恥を知る」**という、極めて静かで深い人生の真理を語っています。
現代は常に情報と人間関係に晒され、自分と向き合う「静けさの時間」が失われがちです。
しかし、心の深層に潜る時間がなければ、人は自分の妄想・誤魔化しに気づくこともなく、真の意味で成熟できないのです。
「大機趣」と「大慚忸」は、まさに“気づきと自己反省”の両輪です。
それは痛みを伴うものですが、成長の本質でもあります。
7. ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き):
- 「忙しさを離れ、“自分と向き合う時間”を持つ」
会議・業務・SNSに追われる日常の中で、あえて静かな時間を作り、自分の思考や感情を見つめることで、次の打ち手や本質的な判断力が磨かれる。 - 「気づきは、深夜の内省に宿る」
仕事で煮詰まったとき、孤独な時間にふと浮かぶ違和感や直感が、最大の突破口になる。
「心の声」を聞くには、外のノイズを遮断する時間が不可欠。 - 「恥と反省は、成長の入口」
自己欺瞞や自慢話の中では成長できない。
“妄の逃れ難し”と知ることが、リーダーの器を広げる。
「なぜそれを選んだのか」「その判断は誠実だったか」と問うことが、倫理的リーダーシップの礎。
8. ビジネス用の心得タイトル:
「静けさの中に真我を観よ──気づきと慚忸こそ、成長の灯」
この章句は、精神修養やリーダーシップ開発、倫理教育などにも非常に有効です。
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