世俗を離れて山林に暮らせば、人との関係に起因する「栄誉」や「恥辱」といった煩わしさから解放される。
だが、たとえ都会の中、世のど真ん中で生活していたとしても――
もし自分の中の「道義(どうぎ)」をしっかりと守り、誠実に生きているなら、
他人が冷たくしようが、温かくしようが、それに心を動かされることはなく、
静かな安心と共に、生きていくことができる。
つまり、本当に大切なのは「どこに住むか」「どんな環境にいるか」ではなく、
**「いかにして自分の心と道を貫いて生きるか」**である。
引用(ふりがな付き)
隠逸(いんいつ)の林中(りんちゅう)には栄辱(えいじょく)無(な)く、
道義(どうぎ)の路上(ろじょう)には炎涼(えんりょう)無し。
注釈
- 隠逸(いんいつ):世俗を離れ、自然の中でひっそりと暮らす生き方。隠者的生活。
- 栄辱(えいじょく):他人からの称賛(栄)や非難・恥(辱)のこと。人間関係における評価。
- 道義(どうぎ):人としての正しい道。倫理や誠実さ。自分の中の信念。
- 炎涼(えんりょう):他人の態度の温度差、つまり好意・冷遇のこと。外界からの感情の影響。
- 路上(ろじょう):社会の中での生活、つまり日常生活を送る場。
関連思想と補足
- 本項は、老荘思想に由来する「隠逸」への共感と、儒教的な「道義」を貫く強さを両立させた、『菜根譚』らしい折衷的な視点を示している。
- ヘンリー・D・ソローの『森の生活』とも深く共鳴し、「外的環境ではなく、内なる姿勢」が人生の質を決めるという思想は、時代と文化を超えた普遍性を持つ。
- ソローの言葉:「生活をシンプルにすると、宇宙の法則もシンプルになる」――まさに道義と静けさの世界観に通じる。
目次
原文:
隱逸林中無榮辱、
義路上無炎涼。
書き下し文:
隠逸(いんいつ)の林中には栄辱(えいじょく)無く、
道義の路上には炎涼(えんりょう)無し。
現代語訳(逐語/一文ずつ):
- 「隠逸の林中には栄辱無く」
→ 世間を離れ、林の中で隠者のように暮らす者には、名声を得ることも、恥を受けることもない。 - 「道義の路上には炎涼無し」
→ 道義に従って生きる者は、人の心の移ろいや利害によって、熱く迎えられたり冷たくされたりすることはない。
用語解説:
- 隠逸(いんいつ):世間の喧騒を離れて、自然の中で静かに暮らすこと。名利を求めない生き方。
- 栄辱(えいじょく):栄光と恥辱。世間的な評価・体面の浮き沈み。
- 義路(ぎろ)=道義の路:道徳と正義を貫く人生の道。
- 炎涼(えんりょう):人の情の温かさや冷たさ。特に利害による交際の変化を指す。
全体の現代語訳(まとめ):
世間から離れ、自然の中で質素に暮らしている人は、名誉に酔うことも恥辱に苦しむこともない。
また、正義と道徳を貫く人生を歩んでいる者は、人の打算的な態度や、利害関係による付き合いの温度差に振り回されることはない。
解釈と現代的意義:
この章句は、**「外的評価や他人の態度に左右されない、独立した人生の姿勢」**を表しています。
1. “世間の騒がしさ”から離れる心
- 名誉や屈辱に一喜一憂せず、静かな場所に身を置くことで精神的自由を得る。
→ 「何も得ない=何にも縛られない」。
2. “人の顔色”を気にせず正義を貫く
- 道義を基準に生きていれば、利害関係による人間関係の温度差(炎涼)には心を乱されない。
→ 「誠実な道には、裏切りも冷淡も影響しない」。
3. 内面の独立が、外の騒動を超越させる
- 外界が騒がしくても、心の軸を内に持っていれば、どんな風にも揺れない。
→ “隠者”や“義人”は、人生の真の自由人。
ビジネスにおける解釈と適用:
1. 評価に一喜一憂しない“職業的成熟”
- 昇進や賞賛に浮かれず、失敗や批判に動揺しない態度が、持続的に成果を生む。
→ “評価されない仕事”こそ、本物の価値が宿る。
2. 道義ある行動はブレないブランドを生む
- お世辞に乗らず、冷遇にもへこたれず、道理に従って判断する姿勢は信頼の源。
→ 「義の道を歩む企業」は、顧客にも社会にも一貫性を与える。
3. 人間関係に“損得の温度差”を持ち込まない
- 利害ではなく人間性を基軸にした関係づくりは、長期的パートナーシップに繋がる。
→ 「温かいときだけ付き合う」関係から卒業せよ。
ビジネス用心得タイトル:
「評価に揺れず、利害に染まらず──“独立心”が信頼を築く」
この章句は、「何に価値を置くか」によって人生の景色がまったく異なることを教えてくれます。
栄誉や評価はあってもよいが、それを“目的”にすると心は常に揺れる。
逆に、道義を土台にした生き方をすれば、炎涼の世にあっても、心は冷静にして明朗。
そのような人生と働き方を目指すための、清廉な道しるべとなる一節です。
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