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📖 引用原文(『ダンマパダ』第33章「バラモン」第61偈)
「妄愛」という母と、「われありという想い」である父とを滅ぼし、
「われ」という慢心の象徴である国王、
そして、永遠説と断滅説という二人の博学なバラモンを滅ぼし、
十二処(国土)と「喜び貪り」という従臣を滅ぼして、
バラモンは汚れなくしておもむく。
🔍 逐語訳(意訳)
- 「母」=妄愛(愛著、貪愛)
- 「父」=我執(自我への想念)
- 「王」=我慢(プライド・慢心)
- 「二人の博学者」=常見(永遠説)と断見(虚無説)
- 「国土」=十二処(六根と六境)
- 「従臣」=喜と貪り(感覚的欲望)
これら一切を滅したとき、
清浄なバラモン=解脱者は、執着のない境地に至る。
🧘♂️ 用語解説
表現 | 象徴するもの |
---|---|
母(妄愛) | 感覚的な執着。愛するがゆえに束縛される情動。 |
父(我見) | 「我がある」「私という実体が存在する」とする誤った認識。 |
国王(我慢) | 自我への誇りやプライド。優越・劣等感を生む慢心。 |
二人のバラモン | 哲学的な二極端、すなわち「永遠説(常見)」と「断滅説(断見)」の誤見。 |
国土(十二処) | 六根(感覚器官)と六境(対象)からなる認識の場(眼・耳・鼻・舌・身・意と色・声・香・味・触・法)。 |
従臣(喜と貪) | 快楽への反応としての喜びと、それを求め続ける貪欲。 |
🗣 全体の現代語訳(まとめ)
愛着・自我・慢心・誤った世界観・感覚世界・快楽欲――
これらすべての「内なる王国」の構成要素を滅し尽くしたとき、
バラモン(真の修行者)は、いかなる汚れにも染まらず、
完全な自由と浄らかさを得て歩んでゆく。
🧭 解釈と現代的意義
この偈は、「内なる戦い」に勝つための象徴的な地図を示しています。
現代人もまた、
- 愛されたい/認められたい(妄愛)
- 自分は特別であるべきだ(我執・我慢)
- 極端な見方(0か100、白か黒)に陥る(常見・断見)
- 感覚の刺激に依存(SNS・快楽・消費)
といったものに支配されやすいのです。
この偈は、それらのすべてを自らの中に見つめ、
滅していくことによって真の自由へ至る――と教えています。
🏢 ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 実践への応用 |
---|---|
自己執着からの解放 | 成果や役職への過剰な執着は、心の重荷になる。「誰がやったか」ではなく「何を成したか」に意識を向ける。 |
誤った信念の克服 | 「会社はこうあるべき」「私は絶対正しい」といった極端な世界観を柔軟に見直す。 |
内面の再構築 | 真の変革は、外の環境よりもまず「内面の制度改革(愛・我・慢・貪)」から。 |
💡 感興のことば:心得まとめ
「内なる王国を滅ぼし、無垢にして進め」
われわれの中にある「愛されたい母」
「認められたい父」
「君臨したい王」それらが作る王国は、
欲と怒りと慢心と、快楽への従者で満ちている。だが、そのすべてを――
心の中の「国土ごと」――滅したとき、人は、初めて「清浄にして自由なる者」になる。
進め、バラモンよ。
汚れなき境地へ。欲望の王国の廃墟をあとにして。
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