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有限なる果報か、無限なる帰趨か


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■原文

しかし、これらの小知の人々の得る果報は有限である。神々を崇める人々は神々に至り、私を信愛する人(信者)はこの私に至ることができる。
(第7章・第23節)


■書き下し文

しかしながら、小さな知識しか持たない人々の得る果報は、限られている。神々を崇める者は、神々のもとに赴き、私を信じて愛する者は、私のもとに至る。


■現代語訳(逐語/一文ずつ)

  • しかし、これらの小知の人々の得る果報は有限である。
     → 知識が浅く、本質を知らない者たちが得る結果(利益)は一時的であり、限られている。
  • 神々を崇める人々は神々に至り、
     → 個別の神を礼拝する者は、その神の世界(限定された霊的領域)に赴く。
  • 私を信愛する人(信者)はこの私に至ることができる。
     → だが、私(至高神)を心から信じ愛する者は、私自身のもとに帰着する(究極の解脱へ至る)。

■用語解説

  • 小知(アルパメーダーサハ):断片的な知識、一時的な現世利益にとらわれる思考。
  • 果報(パラーム):行為や信仰によって得られる報い、結果。
  • 有限(アンタヴァット):一時的で、終わりがあるもの。
  • 神々(デーヴァ):インドラ、アグニ、ヴァルナなど自然神を含む複数神格。
  • 私(アハム):この場合、クリシュナ=至高者(ヴァースデーヴァ)を指す。

■全体の現代語訳(まとめ)

本質を理解せず、一時的な利益を求めて神々を崇める人々が得る報いは限られている。それに対して、私を心から信愛する者は、真に私のもとに至ることができる。


■解釈と現代的意義

この節は、一時的な信仰と永遠の信仰の違いを示しています。多神教的な信仰がもたらす果報も尊重しつつ、それは本質的には有限であり、永続的な解脱には至らないと断じています。究極の真理は、至高者(クリシュナ)への一心の帰依にこそあるという、一元論的な霊性観が語られています。


■ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)

  • 短期利益を追うか、長期価値を築くか
     → 短期的な施策や流行にとらわれる「小知」の経営は、やがて限界を迎える。一方で、理念・価値観に根差した長期戦略は、持続可能な成果を導く。
     → 「一時の果報に甘んずるな。永続する本質を見よ」
  • 表層的信頼より、根本的信頼関係を築け
     → 顧客やパートナーとの関係も、見せかけの利益ではなく、信頼・敬意・共感という“本質的なつながり”を築くことが重要。
     → 「信愛の先に真の成果がある」
  • 業績と成果の源を見極めよ
     → 成果をもたらす“真の力”は、見えにくいところにある。それが理念・信念・志といった「至高なるもの」との結びつきである。
     → 「果報の先にある源流をつかめ」

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