暴れ馬のように激しく制御しがたい者であっても、
きちんと訓練すれば、やがて立派な駿馬として駆け抜けるようになる。
鋳型から飛び出るような溶けた金も、手をかければ鋳型にきれいに収まる。
だが、本当にどうしようもないのは、何もせず、やる気も起こさず、
のらりくらりと一日を過ごして、振るい立つ気配のない者である。
こうした人間は、一生を通じて一歩も前進することができない。
明代の儒者・白沙先生(陳献章)は言った——
「欠点が多いことは、決して恥ではない。むしろ、一生なんの“病”も持たずに生きてしまうことこそが心配である」と。
これは真に的を射た言葉である。
失敗しても動いていれば、鍛え直せる。
だが、動かぬ者、挑まぬ者には、何も生まれない。
原文とふりがな付き引用
泛駕(はんが)の馬(うま)も、駆馳(くち)に就(つ)くべく、躍冶(やくや)の金(きん)も、終(つい)に型範(けいはん)に帰(き)す。
只(ただ)だ一(ひと)に優游(ゆうゆう)して振(ふ)るわざるもの、便(すなわ)ち終身(しゅうしん)個(いっこ)の進歩(しんぽ)無し。
白沙(はくさ)云(い)う、「人(ひと)と為(な)り多病(たびょう)なるは未(いま)だ羞(は)ずるに足(た)らず。一生(いっしょう)病(やまい)無(な)きは是(これ)吾(わ)が憂(うれ)いなり」。真(まこと)に確論(かくろん)なり。
注釈(簡潔に)
- 泛駕の馬(はんがのうま):暴れ馬。手に負えない者のたとえ。
- 駆馳(くち)に就く:鍛えられて走りこなせるようになること。
- 躍冶の金(やくやのきん):鋳型から飛び出すような未熟な素材のたとえ。
- 優游(ゆうゆう):のらりくらりしているさま。やる気がない状態。
- 白沙(はくさ):明代の儒学者・陳献章。独特の人間観を持ち、心学の先駆者とされる。
- 多病(たびょう):ここでは「欠点」や「問題点」の比喩。
- 病無きは吾が憂い:「何も悩まぬ者こそ、危うい存在である」という警句。
パーマリンク案(英語スラッグ)
inaction-is-the-true-failure
「何もしないことこそが最大の失敗」という本条の主旨を端的に表したスラッグです。
その他の案:
- effort-over-idleness
- better-wild-than-dead
- motion-can-be-shaped
この章は、たとえ粗削りであっても「動いていること」「やる気があること」が何よりも価値があるという、
きわめて実践的な人間観を示しています。
現代でも、「完璧でなくていい、前に進もう」という大きな励ましとなる内容です。
1. 原文
泛駕之馬、可就驅馳;冶之金、終歸型範。只一優游不振、便終身無個進步。白沙云、爲人多病未足羞、一生無病是吾憂。眞確論也。
2. 書き下し文
泛駕(はんが)の馬も、駆馳(くち)に就くべく、冶(や)の金も、終に型範(けいはん)に帰す。
ただ優游(ゆうゆう)して振わざる者は、便ち終身(しゅうしん)個の進歩無し。
白沙(はくさ)云(い)わく、「人と為りて多病なるは未だ羞ずるに足らず。一生病無きは是れ吾が憂いなり」。真(まこと)に確論(かくろん)なり。
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳す)
- 泛駕之馬、可就驅馳;冶之金、終歸型範。
→ 手なずけられていない馬でも、しっかり訓練すれば立派に走れるようになり、
溶かした金属も型にはめれば、きちんとした形になる。 - 只一優游不振、便終身無個進步。
→ しかし、怠けていて努力しない者は、一生のあいだ少しの進歩もない。 - 白沙云、爲人多病未足羞;一生無病是吾憂。
→ 白沙先生(明代の儒者・朱熹の後継者)が言った。「人が多く失敗し苦しむのは恥ではない。
一生なにも悩まず成長もないことこそ、私にとっての憂いだ。」 - 眞確論也。
→ 実に正論である。
4. 用語解説
- 泛駕(はんが):しっかり手綱が取れていない未熟な馬。能力があっても未鍛錬な人の比喩。
- 駆馳(くち):自由に駆け回らせること。実践・現場での活用。
- 冶金(やきん)・型範(けいはん):溶かした金属を型に流し込んで製品にすること。未熟者でも鍛えれば完成されるという意味。
- 優游(ゆうゆう):気楽に遊び、だらだらと怠けていること。
- 白沙(はくさ):明代の儒者・陸九淵(陸象山)や陽明学に影響を与えた**呂坤(りょこん)**など、清貧を貫いた学者の通称。
- 多病:文字通りの病気だけでなく、失敗・悩み・葛藤を含む。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
未熟な馬も訓練すれば速く走れるし、溶かした金属も型に入れれば美しい器となる。
しかし、怠けて努力を怠る者は、人生を通じて一歩の進歩も得られない。
学者・白沙はこう語った。「人が多く悩み苦しむのは恥ではないが、一生何の苦労もせず成長もないことこそ、むしろ問題だ」と。
これはまさに真実の言葉である。
6. 解釈と現代的意義
この章句は、**「苦労や未熟は恥ではなく、怠慢こそが真の問題である」**という哲理を述べています。
- 才能があるかないかは問題ではない。“磨くかどうか”がすべてである。
- 成功よりも「成長」を重視し、過程を恐れずに挑む姿勢が、人生を本当の意味で豊かにする。
- 一見静かで順調な人生でも、内面に成長や葛藤がなければ、形ばかりで中身のない空虚な存在になってしまう。
7. ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)
▪ 成長を止めるのは“未熟”ではなく“惰性”
新入社員や異業種からの転職者に求められるのは完璧な能力ではなく、
鍛錬を受け入れる姿勢と学習意欲。
▪ 問題がない人より、「悩みながら挑む人」を評価せよ
トラブルがないからといって、それは“仕事ができている”証拠ではない。
むしろ挑戦し、試行錯誤しながら成長する人材こそが、組織にとっての財産。
▪ “成果”より“変化”に目を向ける評価軸
結果主義だけに偏ると、「優游不振」でも目立たずに居座る者が出てくる。
変化と成長を評価する文化が、組織の活力を保つ鍵となる。
8. ビジネス用の心得タイトル
「未熟は恥でなく、怠惰こそ問題──挑戦する心が“真の進歩”をつくる」
この章句は、すべての「未熟な人」「悩める人」「挑戦の最中にある人」にとって、励ましの言葉であると同時に、
「現状維持に甘んじる者」への静かな警鐘でもあります。
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