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誰が岸に立ち、誰がまだ流れの中にいるのか


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■原文(出典:『ダンマパダ』第十七章 第八偈)

バラモンである尊師ブッダは、(大河を)渡りおわって陸地に立っている。
或る修行僧らはここで水浴をしている。
他の修行僧らは筏をつくっている。


■逐語訳

  • バラモンである尊師ブッダは:真理に到達した覚者・導師たるブッダは、
  • 渡りおわって陸地に立っている:迷いの大河を渡りきり、彼岸(ニルヴァーナ)に至っている。
  • 或る修行僧らは水浴している:ある修行者は河の中にとどまり、表面的な行いに満足している。
  • 他の修行僧らは筏をつくっている:他の者たちは解脱を目指して準備を進めている段階にある。

■用語解説

  • バラモン(ブラーフマナ):仏教的文脈では「最も高徳な者」「真理を体現する者」としてブッダを指す尊称。
  • 大河:煩悩と苦悩の世界、生死を繰り返す輪廻(サンサーラ)の象徴。
  • 陸地(彼岸):迷いを超えた悟りの世界(涅槃)。安らぎと自由の境地。
  • 水浴する者:修行の本質に至らず、表層的な儀式や形式にとどまる者。
  • 筏をつくる者:悟りを目指して正しく修行を積みはじめた者。まだ川のこちら側にいるが、前進の意志を持っている。

■全体の現代語訳(まとめ)

ブッダはすでに迷いの大河を渡り終え、真理の岸に安らかに立っている。
しかし、他の修行者たちはさまざまな段階にあり、
ある者は水の中で遊んだり体を洗ったりしているだけで、悟りに向かう気配がない。
またある者は、真剣に解脱を目指して筏を作り始めている。
その違いは「意識」と「理解の深さ」によって決まる。


■解釈と現代的意義

この偈は、同じ修行者の中にも、意識の段階・行動の深さに差があることを示しています。
悟りの岸辺に至ったブッダに対し、同じ場所にいても、
ある者はただ形式的な修行にとどまり、ある者は真剣に悟りを目指して努力を始めている。

これは現代にも通じます。
「学び」や「仕事」「信仰」においても、何を目指し、どの深さで行っているかによって、
成果も人生の質もまったく異なるものになります。
「やっているつもり」ではなく、「本当に前進しているか」が問われているのです。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
学びの姿勢セミナーや研修に参加しても、受け身で「水浴」しているだけでは変化は起きない。学びを実行に移すことが「筏をつくる」ことにあたる。
形式と本質マニュアル通りに動いていても、意識と目的がなければ成長にはつながらない。ブッダのように本質を生きる姿勢が求められる。
リーダーとメンバーの成熟度差経営者やリーダーが既に全体像を見ていても、メンバーはまだ準備段階か、あるいはただ「活動しているだけ」の段階にあることが多い。
進化の段階認識同じ職場にいても、誰もが同じ成長段階にいるわけではない。それぞれの段階に合った支援と自己認識が必要。

■心得まとめ

「真の修行は、筏を作ることから始まる」

尊師ブッダはすでに岸に立っておられる。
あなたは、まだ水に戯れていないか?
それとも、筏を手に取り、静かに漕ぎ出そうとしているか?
成長と悟りは、「どこにいるか」ではなく、「何をしているか」で決まるのです。


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