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正しく歩まぬ修行は、剣よりも危うい


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📜 引用原文(日本語訳)

第二二章 地獄 三一一偈
茅草でも、とらえ方を誤ると、手のひらを切るように、修行者の行も、誤っておこなうと、地獄にひきずりおろす。
――『ダンマパダ』第二二章「地獄」三一一偈


🔍 逐語訳

  • 茅草(ちがや):見た目は柔らかくても、刃のように手を切ることがある植物。比喩として使われる。
  • とらえ方を誤ると手のひらを切る:一見無害なものでも、正しく扱わなければ傷を負うという警句。
  • 修行者の行:宗教的・倫理的な実践。戒・定・慧に基づく生活。
  • 誤っておこなうと:形式だけをなぞる、自己満足的、または偽善的な実践。
  • 地獄にひきずりおろす:誤った修行は、解脱ではなく苦しみの輪廻へと導く。

🧩 用語解説

  • 茅草(クシャグラ):修行者の座としても使われる草。手入れを誤ると切り傷になるという性質。
  • 修行(サーダナ):仏教では、正見・正語・正業など八正道を実践することを意味する。
  • 誤った行:動機が不純、方法が我流、または他者を欺く形で行われる実践。
  • 地獄(ナラカ):悪しき行為の報いとして堕ちる、苦悩に満ちた世界。

🗣️ 全体現代語訳(まとめ)

どんなに善いものであっても、使い方を誤れば危険になる――茅草が手を切るように、修行も正しく行わなければ、かえって自分を傷つけ、最悪の場合、地獄に堕ちる原因ともなる
「修行しているつもり」「善を行っているつもり」でも、それが正道から外れていれば、心と行いを蝕む毒に変わる


🧠 解釈と現代的意義

この偈は、形式だけの宗教行為や善行が、内実を伴わなければ危険であることを教えています。
修行とは本来、自己を律し、他者に害をなさず、智慧を育むためのものであるにも関わらず、偽善や自己顕示のために行えば、むしろ心を堕落させる

現代で言えば、「SDGsや倫理経営を掲げながら実態が伴わない」「善意のフリをして私利私欲を隠す」といった行為にも通じる警句です。


💼 ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
偽善のリスク企業が社会貢献をうたっても、その裏で搾取や不正があれば、信頼を失い、社会的制裁を受ける。
倫理の自己満足倫理的であろうとする姿勢が、自己満足や優越感にすり替わると、本来の目的から外れ害を生む。
リーダーの姿勢指導的立場にある者が、教えを説く一方で私利に走れば、組織全体が堕落するリスクが高まる。
自己啓発と内省自己成長の取り組み(研修・瞑想・読書など)も、動機が浅ければ実を結ばずむしろ虚栄に変わる。

🧘 心得まとめ

「道は細く、踏み外せば奈落に至る」

善い行いや修行の道でさえも、正しい動機と姿勢がなければ、それは害となり自らを傷つける刃となる
人は常に、内面の誠実さと謙虚な姿勢を忘れず、「正しく歩む」ことの困難と尊さを胸に刻むべきである。

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