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少なくても、誠実であれ――それを天も見ている


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📖 原文引用(『ダンマパダ』第二五章 第366偈)

たとい得たものは少なくても、修行僧が自分の得たものを軽んじることがなければ、
怠ることなく清く生きるその人を、神々も称讃する。

(原文:
Appakenāpi ce piṇḍena,
appatvā senāsanaṃ,
appabhojanaṃ bhuñjitvā,
niddhantam atimaññati.

―『Dhammapada』Ch. 25, v.366)


🔍 逐語訳(逐文・簡潔)

  • Appakenāpi ce piṇḍena:たとえ施し(托鉢)による得物がわずかであっても、
  • Appatvā senāsanaṃ:粗末な寝場所しか得られなくても、
  • Appabhojanaṃ bhuñjitvā:わずかな食事しか取らずに済ませても、
  • Niddhantam atimaññati:それでも自らを卑下せず、誠実に努める者を、
    → 神々は称える(※原文の文末は省略形であり、意味は「その者を称賛する」に繋がると解されます)

📘 用語解説

  • 托鉢(piṇḍena):僧侶が鉢に受ける食物。ここでは「報酬」や「与えられるもの」の象徴と解釈可能。
  • 軽んじない(atimaññati):少ないことを恥とせず、卑下せず、むしろ誠実に受け取る態度。
  • 怠ることなく(niddhantam):「努力を怠らないこと」。精進・律儀に日々を過ごす姿勢を指す。
  • 神々も称賛する(文意より):人間の目に見えずとも、真実の生き方を高く評価する存在があるという意味。

🗣️ 全体の現代語訳(まとめ)

たとえ施しが少なく、質素な寝床とわずかな食事しか得られなくても、
それを軽んじたり卑下せず、怠らずに清く誠実に生きる修行者を、
神々すらも高く称える。


🧭 解釈と現代的意義

この偈は、「成果の大小よりも、生きる姿勢そのものが尊い」という教えです。
社会は成果や数字で人を評価しがちですが、仏教は“どれだけ得たか”ではなく“どう受け取り、どう生きたか”を問います。
外的に恵まれない状況でも、それに不平を言わず、誠実に歩む人の姿を見ている者(神・天・世間)は必ずいる。
それは、静かに人生を支える力になる生き方なのです。


💼 ビジネスにおける解釈と応用

観点応用・実践例
報酬・役割の評価小さな役割や地味な仕事であっても、自分の価値を信じ、誠実に取り組む姿勢を忘れない。
誠実なプロ意識成果や称賛がすぐに得られなくても、日々の積み重ねにこそ真価が宿るという信念を持つ。
成果主義の補完評価指標だけでは測れない「目に見えない貢献」「信頼される人柄」が、長期的な影響力を育てる。
モチベーション管理他人の評価ではなく、自らの内なる基準と良心によって、ぶれずに日々を歩む力を持つ。

🧠 心得まとめ(ビジネスパーソン向け)

「少ないことは、価値がないことではない。誠実であることが、最も高く評価される。」
あなたの姿勢を、数字や周囲が理解しなくても、誠実に生きる姿を見ている存在は必ずある。
目立たなくても、正しく、誇り高く――
それが、プロとして信頼される人の根本である。


この偈は「自己評価の源泉」を内面に持ち、誠実な人生を歩むための深い指針です。

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