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整った心は、愛執すら受けつけない


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📜 引用原文(出典:『ダンマパダ』第3章 第22偈)

屋根をよく葺いてある家には雨の洩れ入ることが無いように、
心をよく修養してあるならば、愛執が心に侵入することが無い。

(パーリ語原典:
Sārāṃ bhavitaṃ gehaṃ vuṭṭhī na samativijjhati,
Tath’evaṃ bhāvitaṃ cittaṃ taṇhā na samativijjhati.


🪶 逐語訳

  • よく葺かれた屋根の家には、雨が染み込まないように、
  • よく修養された心には、**愛執(渇愛)**が染み込むことはない。

📘 用語解説

用語解説
愛執(taṇhā)「渇愛」「執着」とも訳される。対象にしがみつき、欲しがり、失うことを恐れる強い執着心。苦の根本原因とされる。
修養された心(bhāvitaṃ cittaṃ)内省・瞑想・智慧により整えられた心。動じず、依存せず、自由である。
雨・屋根の比喩雨は外界からの煩悩・誘惑、屋根は心の防御・自律性の象徴。整った屋根=整った心は、煩悩を防ぐ。

🧾 全体の現代語訳(まとめ)

屋根がしっかりと葺かれていれば雨が漏れないように、
よく整えられた心には、愛執――「これがないと不幸だ」「これさえあれば満たされる」というような、
執着と依存の思い――が、染み込むことはない。
自らを整えた心は、自由と満足を自分の中に見出している。


🔍 解釈と現代的意義

この偈は、**「執着(taṇhā)は防げるものである」**という、仏教の核心的な安心を与える教えです。

愛執とは、誰かや何かに過度に依存し、コントロールできない状態です。
それは恋愛、物欲、承認欲求、ブランド、仕事の成果など、あらゆる対象に向かう可能性があります。
そして、その執着が叶わないとき、心は不安や怒りに満ち、苦しみが生まれるのです。

しかし、修養された心は、そもそも「足りている」ことを知っている
何かを手に入れることではなく、「今の心の状態」を整えることに価値を見出しているのです。


💼 ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
執着の裏にある不安ポジション・名声・報酬への過度な執着は、実は不安の裏返し。整った心は安心を内側に持っている。
サステナブルな働き方過剰な成果主義や競争にとらわれず、淡々と誠実に取り組む心が長く安定したキャリアを築く。
対人関係の依存の脱却特定の上司・部下・パートナーに感情的に依存していると、判断や行動が歪む。自立した心が健全な関係を支える。
組織の文化づくり「もっと」「まだ足りない」という枯渇型の文化より、「今を整える」「すでにある価値を大切にする」文化が持続性を生む。

💡 心得まとめ(結びのことば)

「執着の雨は尽きない。だが、心の屋根を整えれば、濡れることはない。」
「本当に満たされるのは、手に入れたときではなく、整ったときである。」

愛執は、他者や物や評価に対する「渇き」の表現です。
しかし、その渇きは外で潤されることはなく、内なる心の修養によってこそ鎮まります

整った心には、依存も、焦りも、競争も入り込めない。
そこにあるのは、静かな満足と揺るがぬ自由なのです。


この偈で「屋根と雨の比喩による心の修養」シリーズの締めくくりにふさわしい、完成度の高いメッセージとなります。

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