孟子は、柳下恵(りゅうかけい)の生き方を通じて「自分の信念を曲げずに世俗と向き合う態度」の典型を示す。
たとえ君主が不正であろうと、それを恥とせず、官が低かろうと受け入れる。
自らの才徳は隠さず尽くしながらも、志を曲げることなく、人に捨てられても怨まず、貧しても憐れまず。
他人の粗雑さや無礼に接しても「あなたはあなた、私は私」と超然と構え、どんな環境でも品格を保った。
その風に触れた者は、どんなに心の狭い者でも寛容になり、軽薄な者でも思慮深くなると孟子は説く。
原文と読み下し
柳下恵(りゅうかけい)は、
汙君(おくん)を羞(は)じず。小官(しょうかん)を辞(じ)せず。
進んで賢を隠さず、必ず其の道を以(もっ)てす。
遺佚(いしつ)せられて怨(うら)みず、阨窮(あっきゅう)して憫(うれ)えず。郷人(きょうじん)と処(しょ)り、由由然(ゆうゆうぜん)として去(さ)るに忍(しの)びざるなり。
「爾(なんじ)は爾たり、我(われ)は我たり。
我が側に袒裼(たんせき)裸裎(らてい)すと雖(いえど)も、爾、焉(いずく)んぞ能(よ)く我を浼(けが)さんや」と。故に柳下恵の風(ふう)を聞く者は、
鄙夫(ひふ)も寛(かん)に、薄夫(はくふ)も敦(とん)し。
解釈と要点
- 柳下恵は、仕える君が不正でも、小さな役でも、志を汚すのでなければ喜んで受け入れた。
- 常に才徳を隠さず、信じる道に則って行動し、仕官の有無や貧困に心を乱さなかった。
- 世俗の田舎者とさえ、楽しげに交わり、別れるのが惜しいと感じるほど穏やかに生きた。
- 「爾は爾たり、我は我たり」――他者の振る舞いに影響されず、自らの清廉さを保つ決意を示した言葉。
- このような人格の持ち主に触れると、狭量な者は寛大になり、浮薄な者は思慮深くなるという感化力がある。
注釈
- 汙君:道徳的に劣った君主。不正な権力者。
- 袒裼裸裎(たんせきらてい):上半身を裸にすること。無作法・粗野な行為の象徴。
- 浼(けが)す:穢す。品位や徳性を損なうこと。
- 鄙夫(ひふ):度量が狭く、つまらぬ人。
- 薄夫(はくふ):軽率で中身のない人。
パーマリンク(英語スラッグ)
i-am-myself-you-are-yourself
→「私は私、あなたはあなた」という柳下恵の核心の一言をそのまま表現したスラッグです。
その他の案:
purity-amid-impurity
(汚れの中での清らかさ)unmoved-by-others
(他者に動じぬ精神)gentle-and-resolute
(穏やかで強い)
この章は、「内なる道を守る人の強さ」と、「清濁併せ呑む寛容の姿勢」を両立させた柳下恵という人物を通じて、
いかなる環境でも自己を見失わない人格の在り方を説いています。
原文
柳下惠、不羞汙君、不辭小官、不隱賢、必以其道、佚而不怨、阨窮而不憫、與鄕人處、由由然不忍去也、爾爲爾、我爲我、雖袒裼裸裎於我側、爾焉能浼我哉、故聞柳下惠之風者、鄙夫寛、薄夫敦。
書き下し文
柳下恵(りゅうかけい)は、汙(けが)れたる君を羞(は)じず、小官を辞せず、賢を隠さず、必ず其の道を以(もっ)てす。
遺佚(いしつ)せられて怨(うら)みず、阨窮(あっきゅう)して憫(うれ)えず。
郷人と処(とも)にし、由由然(ゆうゆうぜん)として去るに忍びざるなり。
爾(なんじ)は爾たり、我は我たり。
我が側(かたわら)に袒裼裸裎(たんせきらてい)すと雖(いえど)も、爾焉(いずく)んぞ能(よ)く我を浼(けが)さんや、と。
故(ゆえ)に柳下恵の風を聞く者は、鄙夫(ひふ)も寛(かん)に、薄夫(はくふ)も敦(とん)し。
現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
- 柳下恵は、徳のない君主にも仕えることを恥とせず、地位の低い役職も辞めなかった。
- 賢者を隠すことなく、必ず自らの道を貫いた。
- 地位を追われても人を恨まず、困窮しても悲しみを見せなかった。
- 郷里の人々とともに暮らし、自然体で付き合い、去ることを忍びないほど親しんだ。
- 「君は君、私は私。たとえ君が私の横で上半身裸でいても、それで私が汚されることはない」と言った。
- だから、柳下恵の風(=生き様)を聞いた者は、粗野な人間も寛容になり、薄情な者も情に厚くなる。
用語解説
- 柳下恵(りゅうかけい):春秋時代の高潔な士。人格と節度の象徴として知られる。
- 汙君(おくん):徳のない、あるいは評判の悪い君主。
- 小官:地位の低い官職。軽んじられがちな役目。
- 賢を隠さず:優れた人材を隠さず推薦すること。
- 佚(いしつ):官職を追われたり、地位を失うこと。
- 阨窮(あっきゅう):経済的または生活的に困難な状況。
- 由由然(ゆうゆうぜん):のびのびと落ち着いているさま。
- 袒裼裸裎(たんせきらてい):上半身裸など、礼儀を欠いた粗野な姿。
- 浼(けが)す:自分の徳を損なわせること。
- 鄙夫(ひふ):教養がなく粗野な者。
- 薄夫(はくふ):人情に乏しく冷淡な者。
- 寛(かん)・敦(とん):寛容さ、厚情・誠実さ。
全体の現代語訳(まとめ)
柳下恵は、どんなに徳のない君主にも仕え、地位の低い職も避けず、常に自らの信念に従った。地位を追われたり、貧しさに苦しんでも、決して人を恨まず、心を乱さなかった。
郷里の人々と親しく付き合い、平静でゆったりとした態度で接し、離れるのが惜しまれるほどの人格であった。彼はこう言った。「君がたとえ私の横で裸でいても、それで私の徳が損なわれるわけではない」と。
このような柳下恵の風格を知ると、粗野な人も寛大になり、冷淡な人も情に厚くなるのである。
解釈と現代的意義
柳下恵の生き方は、**「内に徳を持ち、外に流されない人格」**の象徴です。
- 上司や社会がいかに不完全であっても、自分の信念を持ち続けること。
- 地位や境遇に左右されず、変わらぬ態度で人に接すること。
- 周囲がどうあれ、自分は自分。他人の姿や言動で自分を汚されることはないという精神的自立。
- こうした強靭な内面の「静かな徳」は、周囲の人を感化し、社会全体に善影響を与える。
ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)
- 「組織の倫理的混乱にも動じず、自分の軸を保つ」
→ 上司が尊敬できない場合でも、自分の職責を果たし、道を外さない態度。 - 「小さな役割にも誠実に取り組む」
→ 花形でない部署でも、誠実に成果を出す人材こそ、組織にとって本当に価値ある存在。 - 「他人の素行に流されない」
→ 周囲が適当に仕事をしていても、それを理由に自分も緩めない「自律型プロフェッショナル」。 - 「人格は行動ではなく、動じぬ心に宿る」
→ 信念に基づく行動と、他者に左右されない精神の在り方は、リーダーとしての資質でもある。
ビジネス用の心得タイトル
「流されぬ徳、揺るがぬ軸──“我は我”の人格が人を動かす」
この章句は、現代の企業社会においても、「環境や他者に左右されない信念の保持」と「誠実な行動」がいかに大切かを教えてくれます。
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