人と獣の違いは、仁義を保てるかどうかにある
孟子は、人と禽獣(きんじゅう=鳥やけもの)との違いは、ごくわずかな差にすぎないと語る。
しかし、この「わずかな差」こそが決定的であり、それが仁義(じんぎ)=人間の心に備わる道徳の核である。
一般の人々(庶民)は、この仁義を忘れがちだが、君子はそれを決して失わず、常に心にとどめて生きる。
だからこそ、君子は獣と異なる「人」としての尊厳を保つことができるのである。
さらに孟子は、聖人・舜(しゅん)を例に挙げ、
舜は世のあらゆる道理(庶物)に明るく、人としての在り方(人倫)を深く理解していたと述べる。
その行いは、仁義を「手段」として使ったものではなく、仁義そのものから自然に湧き出た行動であった。
原文(ふりがな付き)
孟子(もうし)曰(いわ)く、
人(ひと)の禽獣(きんじゅう)に異(こと)なる所以(ゆえん)の者(もの)は幾(ほと)んど希(すく)なし。
庶民(しょみん)は之(これ)を去(す)て、君子(くんし)は之を存(そん)す。
舜(しゅん)は庶物(しょぶつ)に明(あき)らかにし、人倫(じんりん)を察(さっ)す。
仁義(じんぎ)に由(よ)りて行(おこな)う、仁義を行(おこな)うに非(あら)ざるなり。
注釈
- 禽獣(きんじゅう):鳥や獣。理性・倫理を持たぬ存在としての動物。
- 所以(ゆえん):その理由、その本質。
- 希(すく)なし:非常にわずかである。微差。
- 庶民(しょみん)/君子(くんし):庶民は凡人、君子は徳を修めた人物。
- 庶物(しょぶつ):世の中のあらゆる事物や道理。万物の理。
- 人倫(じんりん):人間関係における道。親子・君臣・夫婦などの倫理的秩序。
- 仁義に由りて行う:仁義の心から自然と行動が出る状態。
- 仁義を行うに非ざるなり:打算や目的として仁義を「使って」いるのではない。
心得の要点
- 人と動物の差は「わずか」だが、それは極めて重要な「仁義の心」である。
- 君子とは、その仁義を保ち続ける者である。
- 聖人・舜の行動は、仁義が「心の根」から自然に現れたものであった。
- 真の徳は、意識的な行為というよりも、人格に深く根差した自然な発露である。
パーマリンク案(スラッグ)
- humanity-is-in-virtue(人間らしさは徳に宿る)
- barely-human-without-ren-and-yi(仁義を失えば人はほとんど獣)
- virtue-makes-us-human(徳こそが人を人たらしめる)
この章は、教育・リーダーシップ・人格形成において「何をもって人間とするか」という根源的な価値観を問うものです。徳とは形ではなく心に根ざすものであり、それを失えば人は本質的に獣と変わらない――孟子の厳しくも温かいメッセージが伝わってきます。
原文:
孟子曰:
人之所以異於禽獸者幾希。庶民去之、君子存之。
舜明於庶物、察於人倫、由仁義行、非行仁義也。
書き下し文:
孟子(もうし)曰(いわ)く、
人の禽獣(きんじゅう)に異なる所以(ゆえん)の者は、幾(ほとん)ど希(まれ)なり。
庶民(しょみん)はこれを去(す)て、君子(くんし)はこれを存(そん)す。
舜(しゅん)は庶物(しょぶつ)を明(あき)らかにし、人倫(じんりん)を察(さっ)す。
仁義(じんぎ)に由(よ)りて行(おこな)う、仁義を行うに非(あら)ざるなり。
現代語訳(逐語/一文ずつ訳):
- 「人の禽獣に異なる所以の者は、幾ど希なり」
→ 人間が動物と異なる点(=理性・道徳)は、実はほんのわずかしかない。 - 「庶民は之を去り、君子は之を存す」
→ 一般の人々はそれ(理性や道義)を失ってしまうが、君子(徳ある者)はそれを保持している。 - 「舜は庶物を明らかにし、人倫を察す」
→ 舜は世の中のあらゆる事物に明るく、人間関係の道理にも通じていた。 - 「仁義に由りて行う、仁義を行うに非ざるなり」
→ 彼は仁や義を「目的として」行動したのではなく、
自然と仁義の道に沿って行動したのだ(=仁義に基づき、仁義に由って行った)。
用語解説:
- 禽獣(きんじゅう):鳥や獣、すなわち人間以外の動物。
- 幾希(きき):わずか、かすか。数量的にきわめて少ないさま。
- 庶民(しょみん):一般大衆。ここでは修養を怠る凡人の意。
- 君子(くんし):人格を高め、道義を保つ理想的な人物。
- 庶物(しょぶつ):あらゆるもの。万物。
- 人倫(じんりん):人間関係の道。親子・夫婦・君臣などの社会的関係。
- 仁義(じんぎ):仁=思いやり、義=正義。儒教倫理の核心。
全体の現代語訳(まとめ):
孟子はこう言った:
「人間が禽獣と異なる点――それは理性や道徳のわずかな違いにすぎない。
一般の人々はそれを見失ってしまうが、君子はそのわずかな違いを大切に守る。
古の聖王・舜は、万物の道理に明るく、人間関係の本質をよく理解していた。
彼の行動は、仁や義に“従って”自然に行われたものであって、
“仁義をやろう”と意図して行われたものではなかったのだ。」
解釈と現代的意義:
この章句の主題は、人間の本質と「徳」の保持の難しさ、そして理想的な行動の自然さにあります。
孟子はまず、人と動物を隔てる「理性・道義」は非常にわずかなものであるとし、
それを「意識的に保ち続ける者(君子)」こそが、人としての道をまっとうできると述べます。
さらに舜の行動について、「道徳を目的化するのではなく、それに由って自然に行動する」ことが本当の理想であると説いています。
つまり、“徳を意識せずとも徳である”という境地=内面化された人間力を理想として描いています。
ビジネスにおける解釈と適用:
- 「人としてのわずかな差が、信頼と尊敬を分ける」
社会人として、能力よりも大切なのは、**誠実さや道義感といった“わずかな差”**である。
それを保つ人は信頼され、失う人はすぐに信用を失う。 - 「ルールより“当たり前の誠実さ”が人格を支える」
立派な理念を掲げるより、仁義に“従って行動する人”が、組織に本物の信頼をもたらす。 - 「リーダーは徳を“演じる”のではなく、“体現”せよ」
舜のように、“良いことをしよう”と意識するのではなく、
普段の思考・判断・行動に自然と滲み出る徳が、真のリーダーシップを形づくる。
ビジネス用心得タイトル:
「君子は“わずかな違い”を守る──仁義を語らずして仁義を行う者となれ」
この章句は、リーダー教育・倫理研修・信頼形成の核心に位置づけられる理念です。
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