人間の本性は、あらかじめ善を内に宿すものである。
それを否定し、外からの加工によってしか善(仁義)は生まれないとする考え方は、
本性を破壊しなければ道徳が生まれないという誤った信念を生み、
人々の倫理観を損なう危険な教えである――孟子はそう強く訴える。
告子の主張と孟子の反論
告子はこう言った:
「人の性(本性)はかわ柳のようなものである。義とはそれを曲げてつくる桮棬(曲げものの器)のようなものだ。
人間が仁義を行うには、外からの努力でその性質を加工する必要があるのだ」。
これに対し孟子は、明快に反論する:
「あなたは、かわ柳の自然な性質に順って曲げものを作るのですか?
それともその**性質に逆らって(戕賊して)**作るのですか?
もし性に逆らって作るのであれば、仁義もまた、人の本性を壊して作るというのですか?
それは極めて危険な考えです。天下の人々を誤らせ、仁義を損なう教えとなるでしょう。
そのような禍(わざわい)をもたらすのは、まさにあなたのような言葉です」。
孟子はここで、「仁義は人の自然な本性から発するものであり、後天的に無理に植えつけられるものではない」という根本的な倫理観を提示している。
出典原文(ふりがな付き)
告子(こくし)曰(いわ)く、性(せい)は杞柳(きりゅう)のごとし。義(ぎ)は桮棬(はいけん)のごとし。
人の性(せい)を以(もっ)て仁義(じんぎ)を為(な)すは、猶(なお)お杞柳を以て桮棬を為すがごとし。
孟子(もうし)曰(いわ)く、子(し)は能(よ)く杞柳の性に順(したが)って、以て桮棬を為すか。
将(は)た杞柳を戕賊(しょうぞく)して、而(しこう)して後に以て桮棬を為すか。
如(も)し将た杞柳を戕賊して以て桮棬を為すならば、則(すなわ)ち亦(また)将た人を戕賊して以て仁義を為すか。
天下の人(ひと)を率(ひき)いて、仁義(じんぎ)に禍(わざわ)いする者は、必(かなら)ず子(し)の言(げん)なるかな。
注釈
- 杞柳(きりゅう):柔らかく加工しやすい柳の一種。例えとして人の本性に使われる。
- 桮棬(はいけん):柳を曲げてつくる器。人の道徳を象徴。
- 戕賊(しょうぞく):自然の性質を損ない、傷つけてしまうこと。
- 仁義(じんぎ):人の内に備わる善なる道徳。仁は思いやり、義は正しさ。
- 禍する:道を乱し、損なうこと。
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孟子の核心的主張「性善説」を端的に表したスラッグです。
その他の候補:
- not-by-force(強制ではない)
- virtue-from-within(徳は内から)
- harm-in-denial(否定することの害)
この章は、孟子が説く「性善説」の出発点であり核心ともいえる部分です。
「人間の本性を信じる」という前提があってこそ、教育や倫理の価値が輝くのだという、孟子の深い信念が示されています。
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