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■引用原文(日本語訳)
悪を取り除いたので〈バラモン〉(brāhmaṇa)と呼ばれ、
行ないが静かにやすまっているので〈沙門〉(samaṇa)と呼ばれ、
自らの汚れを除いたので、そのゆえに〈出家者〉(pabbajita)と呼ばれる。
(『ダンマパダ』第388偈|第二六章「バラモン」)
■逐語訳
- “Brāhmaṇo” iti vuccati pāpānaṃ pāpakammānaṃ khayā
「バラモン」とは、悪しき行いと性質を滅した者をいう。 - Samitattā “samaṇo”
心の静寂に達したがゆえに「沙門」と呼ばれる。 - Pabbajito ti pavuccati sabbapāpānaṃ pabbajjāya
すべての穢れ(煩悩)を捨て去ったがゆえに「出家者」と呼ばれる。
■用語解説
- バラモン(Brāhmaṇa):本来はインドの宗教的階級名だが、ここでは“悪を滅した者”として、精神的完成者を意味する。
- 沙門(Samaṇa):静まった者、心が沈着で修行に専念する者。動揺しない人格を象徴。
- 出家者(Pabbajita):煩悩や俗事から離れ、真理を求める者。内面の清浄さによって定義される。
- 悪(Pāpa)・汚れ(Kilesa):貪欲・瞋恚・愚痴など、心を汚す根源的な煩悩。
- 名称(名称的呼称):世俗的な地位や名前ではなく、行い・心のあり方によって定義される本質的な名称を意味する。
■全体の現代語訳(まとめ)
真に「バラモン(聖者)」と呼ばれるのは、生まれや地位によってではなく、自らの中の悪を滅した者である。「沙門(道を歩む者)」とは、心の動揺を鎮め、安らぎに到達した者であり、「出家者(真理の探求者)」とは、心の穢れを除き去り、俗世の執着から離れた者をいう。つまり、それぞれの名称は“行動と心の質”によって真に意味づけられるものである。
■解釈と現代的意義
この偈文は、「肩書きや役職ではなく、その人の在り方こそが本質である」と強く訴えています。現代社会でも、名刺に書かれた役職や学歴ではなく、実際の行動や心の姿勢こそが、真の評価を決めるのです。
仏教は、どんな地位や階層に属するかではなく、「悪を離れ」「心を整え」「汚れを捨てる」ことによって、人間の価値が定まることを明確に説いています。
■ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 適用例 |
---|---|
本質主義の人材観 | 肩書や年数より、「誠実さ」「落ち着き」「自己浄化の努力」がリーダーシップの核となる。 |
評価の基準 | 成果や能力ではなく、「どれだけ欲や怒りから自由でいられるか」が、長期的な信頼と尊敬を築く。 |
誠実な行動と人格 | 静かに内面を磨き、日々の言動で証明する人こそが、影響力ある人物となる。 |
自律的な精神修養 | 自分の「悪習」「汚れた思考」に気づき、修正していくことが、仕事の質だけでなく人生の質を変える。 |
■心得まとめ
「名にとらわれず、実をもって呼ばれる人となれ」
バラモン、沙門、出家者という名は、心の清めと行いの清らかさによって得られる。
ビジネスにおいても、形式的なラベルではなく、その人が「何を手放し」「何を整え」「何を実行したか」が本当の称号となる。
地位に頼らず、自己を高め続ける――そこに、本当の敬意と輝きが宿るのです。
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