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真に賢者を養うとは、形式ではなく敬意と実をもって遇すること

形式ばかりの贈り物や繰り返される儀礼は、賢者にとってわずらわしいだけであり、誠実な遇し方とは言えない。
真に賢者を尊ぶならば、その才能が発揮できる環境と地位を与え、心からの敬意を行動で示すべきである。

孟子は、君主が君子を養いたいのなら、最初は正式な命をもって贈り物を届けさせ、君子が丁重に拝礼して受け取るのが礼だと説く。
しかし、二度目からは米蔵の役人(廩人)や料理人(庖人)が、穀物や肉を絶やさず届けるようにすればよく、いちいち君命という形式をとる必要はない。
子思が繆公のたびたびの「君命つき贈り物」に嫌気がさしたのは、毎度拝礼しなければならず、わずらわしかったからである。
それは敬意ではなく、かえって賢者に対する配慮を欠く行為だった。

古代の堯帝は、舜をまだ野にいるうちから、息子たちを仕えさせ、娘たちを嫁がせ、官吏・牛羊・穀物庫を整えて彼を支えた上で、やがて摂政の地位に登用した。
これこそが、王公たる者の賢者を尊ぶ正しい道である。


出典原文(ふりがな付き)

曰(いわ)く、敢(あ)えて問(と)う。国君(こっくん)、君子(くんし)を養(やしな)わんと欲(ほっ)すれば、如何(いかん)にせば斯(すなわ)ち養(やしな)うと謂(い)うべきや。
曰(いわ)く、君命(くんめい)を以(もっ)て之(これ)を将(おく)い、再拝(さいはい)稽首(けいしゅ)して受(う)く。
其(そ)の後(のち)は廩人(りんじん)粟(ぞく)を継(つ)ぎ、庖人(ほうじん)肉(にく)を継(つ)ぐ。君命(くんめい)を以(もっ)て之(これ)を将(おく)わず。
子思(しし)以(もっ)て為(な)すらく、鼎肉(ていにく)己(おのれ)をして僕僕爾(ぼくぼくじ)として亟〻(しばしば)拝(はい)せしむ。君子(くんし)を養(やしな)うの道(みち)に非(あら)ざるなり、と。
堯(ぎょう)の舜(しゅん)に於(お)けるや、其(そ)の子(こ)九男(きゅうだん)をして之(これ)に事(つか)え、二女(にじょ)をして焉(ここ)に女(めあ)わせ、百官(ひゃっかん)・牛羊(ぎゅうよう)・倉廩(そうりん)備(そな)え、以(もっ)て舜(しゅん)を畎畝(けんぼ)の中(なか)に養(やしな)わしむ。後(のち)挙(あ)げて諸(これ)を上位(じょうい)に加(くわ)う。故(ゆえ)に曰(い)わく、王公(おうこう)の賢(けん)を尊(たっと)ぶ者(もの)なり。


注釈

  • 君命(くんめい):君主からの正式な命令。
  • 再拝稽首(さいはいけいしゅ):丁重な拝礼。頭を地につけて二度拝する。
  • 廩人(りんじん):穀物倉庫の管理者。
  • 庖人(ほうじん):料理・食事を担当する役人。
  • 僕僕爾(ぼくぼくじ):わずらわしく、疲れるさま。
  • 畎畝(けんぼ):田野の中。農作業をする場。
  • 上位(じょうい):ここでは摂政など高位の職を指す。

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