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長老を敬う者のもとに、天下の人は帰する

孟子は、周の文王が仁政を始めたとき、天下に名高い二人の賢者――**伯夷(はくい)と太公望(たいこうぼう)**が、それぞれ東西の海辺から立ち上がって彼のもとに身を寄せたという逸話を語る。

二人はどちらも、殷の暴君・紂王の圧政を避けて隠れていたが、文王の名声を耳にしてこう言った:

「どうして文王のもとに帰らずにいられようか。私は、西伯(=文王)が、老人を敬い、大切にしていると聞いている」

この言葉には、単なる高齢者福祉の意義を超えた意味がある。
伯夷と太公望のような**「天下の父」とも言える存在**が文王の徳に心を動かされて帰属したということは、すなわちその「父たちの子」=天下の人々すべてが、文王のもとに帰ることになる、というのである。

孟子はここで、政治の本質を一言で示す。
仁政とは、弱者を顧み、徳をもって導くことで、自然と人が集まる政治である。

そして、今の時代においても、もし文王のような仁政を行う諸侯がいれば、七年のうちに必ず王者となるだろうと断言する。


目次

原文(ふりがな付き)

孟子(もうし)曰(いわ)く、

伯夷(はくい)は紂(ちゅう)を辟(さ)けて、北海(ほっかい)の浜(はま)に居(お)る。
文王(ぶんおう)作興(さっこう)すと聞(き)き、曰(いわ)く、盍(なん)ぞ帰(き)せざるや。
吾(われ)聞(き)く、西伯(せいはく)は善(よ)く老(ろう)を養(やしな)う者なり、と。

太公(たいこう)は紂を辟けて、東海(とうかい)の浜に居る。
文王作興すと聞き、曰く、盍ぞ帰せざるや。
吾聞く、西伯は善く老を養う者なり、と。

二老(にろう)は天下(てんか)の大老(たいろう)なり。而(しか)して之(これ)に帰(き)す。
是(こ)れ天下の父(ちち)之に帰するなり。
天下の父之に帰せば、其(そ)の子(こ)焉(いずく)にか往(ゆ)かん。

諸侯(しょこう)にして文王の政(まつりごと)を行う者有(あ)らば、
七年(しちねん)の内(うち)、必(かなら)ず政を天下に為(な)さん。


注釈

  • 伯夷(はくい):兄・叔斉と共に「高潔の士」と称された隠者。暴政を避けた模範的人物。
  • 太公望(たいこうぼう):周の軍師。後に斉の始祖。徳ある人物として後世に讃えられる。
  • 西伯(せいはく):文王の別称。西方諸侯の長として周を統治していた。
  • 老を養う:高齢者を敬い、生活と心を支えること。儒教における仁政の象徴的行為。
  • 七年の内に王者となる:短期間で天下がその徳に感化され、支配権が自然に移ることを意味する。

パーマリンク案(英語スラッグ)

  • honor-the-elder-win-the-world(長老を敬えば天下が従う)
  • benevolence-draws-the-wise(仁は賢者を引き寄せる)
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  • righteous-rule-requires-no-force(正しき政治に力はいらぬ)

この章は、仁政の本質を「老人を敬うこと」という具体的な行動を通じて語り、徳による支配がいかに人心をつかむかを力強く描いています。

原文(抜粋)

孟子曰、伯夷辟紂、居北海之濱、聞文王作興曰、盍歸乎來、吾聞西伯善養老者…
孟子曰、求也為季氏宰、無能改於其德、而賦粟倍他日…
君不行仁政而富之、皆棄於孔子者也…
爭地以戰、殺人盈野…此謂率土地而食人肉、罪不容於死。


書き下し文

孟子曰(いわ)く、
伯夷(はくい)は紂(ちゅう)を避けて、北海の浜に居る。
文王(ぶんおう)興ると聞き、曰く、
盍(なん)ぞ帰せざるや。我聞く、西伯(せいはく)はよく老を養う者なり。

太公(たいこう)は紂を避けて東海の浜に居る。
文王興ると聞き、曰く、
「盍ぞ帰せざるや。我聞く、西伯は善く老を養う者なり。」

二老は天下の大老なり。而して之に帰す。是れ天下の父、之に帰するなり。
天下の父、之に帰せば、その子、焉(いずく)にか往かん。
諸侯にして文王の政を行う者有らば、七年のうちに、必ず天下に政を為さん。

また曰く:

求(ぐ)は季氏の宰となり、其の徳を改むること能わずして、賦粟(ふぞく)他日に倍す。
孔子曰く、
求は我が徒に非ざるなり。小子よ、鼓を鳴らして攻むべし。」と。

是に由りて観るに、
君、仁政を行わずして之を富ましむるは、皆孔子に棄てらるる者なり。

況んや、これが為に強いて戦い、地を争い、殺人、野に盈ち、
城を争い、殺人、城に盈つるに於いてをや。

此れ、土地を率いて人の肉を食ましむるなり。罪、死にも容(い)れず。


現代語訳(逐語/一文ずつ)

  • 伯夷は、暴君・紂王を避けて北の海辺に隠れ住んだ。
  • ある日、文王が仁政を始めたと聞くと、こう言った。
     「なぜ戻らぬ理由があろうか。私は西伯(文王)が年寄りを大切にすると聞いている。」
  • 同じく太公望も紂王を避けて東の海辺に居たが、
     文王の仁政を聞き、「帰らない手はない。西伯は老者に優しいと聞く」と言って帰参した。
  • 伯夷と太公、この二人は「天下の大老」と言える存在であり、
     彼らが文王に帰参したということは、**“天下の父が文王に帰した”**のと同じである。
  • 父が帰すれば、その子たち(諸侯・民衆)も当然従う。
     もし諸侯が文王のような仁政を実行すれば、7年以内に必ず天下の中心となるだろう。

  • 一方で、「求」という人物は、季氏の家宰になったが、
     主君の悪政を改めることもできず、かえって租税を倍にして民を苦しめた。
  • これを見た孔子は、「求は私の弟子ではない。太鼓を鳴らして公然と攻めてよい」と怒った。
  • これを見るに、
     もし君主が仁政を行わず、それでも部下を重用して富ませるなら、
     それは孔子が捨てたような人物にすぎない。
  • ましてやそのために無理な戦争を起こし、土地の争いで人が原野に満ち、
     城をめぐって戦って死体が城を覆うような行為などは、

 「土地を支配して民の肉を喰らう」に等しい。
 これこそ、死刑にすら値する罪である。


用語解説

用語意味
伯夷・太公高潔な士人の象徴。伯夷は道徳を重んじ、太公は賢臣であり戦略家。
文王(西伯)後の周王朝の創始者。仁政の象徴。
仁政仁(思いやり・倫理)を根本とした政治。
求(ぐ)孔子の弟子・宰我のこと。義を欠いた行動をして孔子に破門された。
賦粟倍す税を2倍にして民を苦しめたこと。
強戦理不尽な戦争。権力や土地欲しさに起こす戦い。
食人肉暴政や戦争によって民を殺すことの比喩表現。

全体の現代語訳(まとめ)

孟子はこう語った:

かつて高潔な人である伯夷と太公は、暴君・紂を嫌って辺境に隠れていたが、
文王の仁政を聞いて、それぞれ自ら帰参した。

これはつまり、“天下の父”たちが、文王を信じて身を寄せたということであり、
彼らのような存在が帰すれば、その子(=民や諸侯)も必ず従う。

だから、もし誰かが仁政を真似て行えば、七年以内に天下の中心になれるのだ。

しかし、君主が仁政をせずに部下を富ませても、それは孔子が見捨てた人物に等しい。

ましてや、不正な富や土地を得るために戦争を起こし、人を殺し、
死体が原野や城に溢れるような政治は、土地を奪って人の肉を喰らうに等しい

それは死に値する重罪だ。


解釈と現代的意義

この章句は、孟子が一貫して強調する
「仁政による正しい統治」対「暴政による略奪」
を非常に象徴的に描いています。

1. 高潔な人物は、仁に引き寄せられる

  • 伯夷・太公という“天下の父”ですら、仁を実践する者に自然と帰属する。
  • これは、誠実な組織には有能な人材が自然と集まるという示唆でもある。

2. 仁政を模倣すれば天下に影響力を持てる

  • 「仁」に根差した政治や経営は、7年(=中期的)で必ず成果を上げる。
  • モデルリーダー(文王)の再現が重要。

3. 暴政・不正・略奪的利益は死に値する罪である

  • 孟子は強く断じる。「土地を支配して民を殺す者は、人肉を喰らう者であり、断じて許されない」と。

ビジネスにおける解釈と適用

1. 倫理を欠いた成功は「孔子に棄てられる」

  • 結果や利益を出していても、倫理に反すれば信頼は得られない
  • それは真の成功ではなく、「棄てられる者」の道である。

2. 高潔なリーダーには、高潔な部下がつく

  • リーダーが「仁」(思いやり・道徳・ビジョン)を体現していれば、
     その姿勢に共鳴する人材が自然と集まる。

3. 戦略なき拡大・奪う経営は長続きしない

  • 他社を力で押しのけ、社員を酷使して利益を得る手法は、
     孟子に言わせれば「人肉を喰らう経営」であり、破滅への道である。

ビジネス用心得タイトル

「仁なき成功は破滅への道──“天下の父”が帰するのは、仁政のみ」


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