孟子はこの章で、人間の「本当の価値」は、外から与えられるものではなく、自らの内に築き上げるべき“天爵”にあると明言します。
つまり、人が求めがちな「地位・称号・肩書き(人爵)」は副次的なものであり、最優先で修めるべきは、仁義忠信といった“徳(天爵)”であるという厳然たる価値基準を説いています。
二つの爵(しゃく):「天爵」と「人爵」
孟子はまず、「爵」という言葉を分けて定義します:
- 天爵(てんしゃく):天が人に与える徳の爵位
(=仁・義・忠・信などの内的な美徳を楽しみ、あきることなく修める姿勢)- 人爵(じんしゃく):人間社会が与える地位や称号
(=公・卿・大夫などの官職、名声、社会的役割)
ここで孟子が明確に示しているのは:
天爵は“人の本質そのもの”であり、
人爵は“他人によって与えられる評価”にすぎない
古の人:まず天爵を修めて、自然に人爵が従う
孟子は古人のあり方を次のように称賛します:
「古の人は、まず天爵(内なる徳)を修めることに専心し、
その結果として人爵(地位や名声)が自然に従ってきた」
つまり、本質に力を注いだ結果、評価は後からついてきたというのです。
彼らは、人爵を求めて努力したのではなく、自らの“あり方”に忠実であろうとしたのです。
今の人:天爵を手段とし、人爵を目的にしてしまう
しかし、孟子が嘆くのは“今の人”の姿です:
「今の人は、天爵を修めるふりをして、
実はそれを人爵(地位・権力)を得るための“手段”にしている」
そしてこう続けます:
「そしていざ人爵を得たら、天爵はもう用なしとして捨ててしまう。
これはひどい惑い(=価値の逆転)である」
この価値転倒こそ、孟子が最も戒める“本末転倒”の生き方です。
天爵を捨てれば、人爵もいずれ失う
孟子は最後に警告します:
「そんな惑いのある生き方をしていれば、
いずれ手にした“人爵”も必ず失ってしまうだろう」
これは、地位や名声は徳に根ざしてこそ長続きするという、普遍的な道理の強調です。
**“内に価値がなければ、外の飾りも続かない”**というメッセージは、現代の社会にも深く通じます。
出典原文(ふりがな付き)
孟子(もうし)曰(いわ)く、
天爵(てんしゃく)なる者有り。人爵(じんしゃく)なる者有り。
仁義忠信、善を楽しみて倦(う)まざるは、此れ天爵なり。
公・卿・大夫(こう・けい・たいふ)は、此れ人爵なり。
古(いにしえ)の人は、其の天爵を修めて、人爵之に従えり。
今の人は、其の天爵を修めて、以て人爵を要(もと)む。
既(すで)に人爵を得て、其の天爵を棄(す)つるは、
則(すなわ)ち惑いの甚(はなは)だしき者なり。
終(つい)に亦(また)必ず亡(ほろ)ぼすのみ。
注釈
- 爵(しゃく):元来は貴族的身分や役職を表す称号。
- 天爵:天から授かる人徳・徳性(仁・義・忠・信など)
- 人爵:人から与えられる官位・社会的な評価
- 惑い:価値観の転倒。手段と目的を取り違えること。
パーマリンク候補(英語スラッグ)
honor-from-heaven-vs-honor-from-men
(天が与える栄誉と、人が与える栄誉)
その他の候補:
- build-virtue-not-status(地位ではなく徳を築け)
- heavenly-rank-vs-human-rank
- don’t-trade-your-soul-for-a-title
この章は、孟子の哲学が目指す「人間本来の価値とは何か」というテーマに直結する重要な言葉です。
社会的地位や成功を求めるあまり、人格や信念をないがしろにする現代の風潮に対しても、
“真の尊さは内に宿る”という普遍の道理を、孟子は静かに、しかし強く語っています。
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