人を信じる者は、たとえ他人がすべて誠実であるとは限らなくても、自分自身は誠実な人間であるということになる。
逆に人を疑う者は、たとえ他人が皆偽っているわけではなくても、自分の心はすでに誠実さを失ってしまっている。
つまり、信じるという行為は、他人に対してよりもむしろ、自分自身の在り方を表している。
他人の偽りを恐れて心を閉ざすよりも、自分の誠を貫く方が、はるかに人間として尊い。
孟子の性善説が「人は本来善である」と説くように、この条は「たとえ世界が善でなくても、自分は善でいよう」とする一つの覚悟を示している。
『論語』にも「君子は逝かしむべきも、陥るべからず。欺くべきも、罔うべからず」とあるように、誠実とはただの善意ではなく、慎重でありながらも偽らないという強さでもある。
原文(ふりがな付き)
「人(ひと)を信(しん)ずる者(もの)は、
人(ひと)未(いま)だ必(かなら)ずしも尽(ことごと)くは誠(まこと)ならざるも、
己(おのれ)は則(すなわ)ち独(ひと)り誠(まこと)なり。
人(ひと)を疑(うたが)う者(もの)は、
人(ひと)未(いま)だ必(かなら)ずしも皆(みな)は詐(いつわ)らざるも、
己(おのれ)は則(すなわ)ち先(ま)ず詐(いつわ)れり。」
注釈
- 信ずる:誠実さをもって人を信用する。孔子が重視した徳の一つ。
- 疑う:人の本心を疑い、信用しないこと。過剰な防衛反応。
- 詐る(いつわる):偽りをもって接すること。誠実の対極にある。
パーマリンク候補(英語スラッグ)
honesty-begins-with-you
(誠実さは自分から)trust-despite-doubt
(疑っても、まず信じる)be-true-even-if-others-are-not
(他人が偽っても、自分は真であれ)
この条は、現代においても非常に重要なテーマです。SNSや情報過多の時代では、疑うことが当たり前になりがちですが、それでも「自分は誠実でいよう」とする意志は、もっとも強く尊い姿勢なのかもしれません。
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