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偽りの格式より、親しい者に看取られることを望む

孔子が重い病にかかったとき、弟子の子路(しろ)は先生の死を立派に演出しようと配慮し、
門人たちを「大夫(たいふ/高位の官職)の家臣」に見立て、形式的に整えようとした。

しかし、病が少し回復した孔子は、その意図に対して穏やかに、しかしはっきりとこう言った:

「由(子路)よ、お前はずっと偽りを演じていたのだな。
私は今、官職にも就いておらず、家臣もいない。
そんな私に家臣がいるふりをして、誰を騙そうというのだ? 天を欺けるとでも思うか。
私は、格式ある家臣たちに看取られるよりも、親しいお前たちに見送られたい。
たとえ立派な葬儀ができなくても、お前たちがいれば、私は道ばたで無惨に死ぬこともないだろうよ」

この言葉には、外面や格式にとらわれない孔子の人間らしい一面と、弟子たちへの深い信頼と愛情が表れている。
人として最後に望むものは、「格式ある形」ではなく、親しい者のまごころと共にある時間なのだ。


原文(ふりがな付き)

「子(し)、疾病(しっぺい)す。子路(しろ)、門人(もんじん)をして臣(しん)たらしむ。病(やまい)間(いとま)なるとき曰(いわ)く、久(ひさ)しいかな、由(ゆう)の詐(いつわ)りを行(おこな)うや。臣(しん)無(な)くして臣(しん)有(あ)りと為(な)す。吾(われ)誰(たれ)をか欺(あざむ)かん。天(てん)を欺(あざむ)かんや。且(か)つ予(よ)、其(そ)れ臣(しん)の手に死(し)なんよりは、寧(むし)ろ二三子(にさんし)の手に死(し)なん。且(か)つ予(よ)、縦(たと)い大葬(たいそう)を得(え)ざるも、予(よ)、道路(どうろ)に死(し)なんや。」


注釈

  • 臣(しん)…家臣。通常は官職に就いた者に付き従う者を指す。
  • 欺天(てんをあざむく)…天、すなわち自然の理・真理をごまかすこと。孔子はそれを無意味と断じた。
  • 二三子(にさんし)…弟子たちへの親しい呼びかけ。「お前たち」「そなたたち」の意。
  • 大葬(たいそう)…格式ある立派な葬儀。孔子はそれにこだわらなかった。
  • 道路に死なんや…「道ばたで行き倒れになるような死を迎えるだろうか、いや、そうではない」という安心感の表現。

原文:

子疾病、子路使門人為臣。病間曰、久矣哉、由之行詐也。無臣而為有臣、吾誰欺、欺天乎。且予與其死於臣之手也、無寧死於二三子之手乎。且予縱不得大葬、予死於道路乎。


目次

書き下し文:

子(し)、疾病(しっぺい)す。子路(しろ)、門人(もんじん)をして臣(しん)たらしむ。
病間(へいかん)にして曰(いわ)く、久(ひさ)しきかな、由(ゆう)の詐(いつわ)りを行(おこな)うや。
臣(しん)無(な)くして臣有(あ)りと為(な)す。吾(われ)、誰(たれ)をか欺(あざむ)かん。天(てん)を欺かんや。
且(か)つ予(われ)、其(そ)れ臣(しん)の手(て)に死(し)なんよりは、寧(むし)ろ二三子(にさんし)の手に死なん。
且つ予、縦(たと)い大葬(たいそう)を得(え)ざるも、予(われ)、道路(どうろ)に死なんや。


現代語訳(逐語/一文ずつ訳):

  • 子疾病す。子路、門人をして臣たらしむ。
     → 孔子が病に倒れたとき、弟子の子路は弟子の一人を「臣(しん)」、つまり従者のふりをさせた。
  • 病間にして曰く、久しいかな、由の詐りを行うや。
     → 病状が少し和らいだとき、孔子はこう言った。「ああ、由(=子路)は長いこと偽りを演じていたものだ。」
  • 臣無くして臣有りと為す。吾誰をか欺かん。天を欺かんや。
     → 「私は従者などいないのに、いるふりをするとは、私は誰をだまそうというのか。天(=自然・運命)をだませるというのか。」
  • 且つ予、其れ臣の手に死なんよりは、寧ろ二三子の手に死なん。
     → 「それに、見せかけの従者の手に死ぬくらいなら、お前たち本当の弟子たちの手で死ぬほうがましだ。」
  • 且つ予、縦い大葬を得ざるも、予道路に死なんや。
     → 「たとえ立派な葬儀ができなかったとしても、私は路上に打ち捨てられて死ぬような者ではない。」

用語解説:

  • 子路(由):孔子の高弟の一人。忠誠心が強く実行力に優れるが、やや直情的な面もある。
  • 門人:弟子。
  • :古代中国では、貴族や上級者が従者・使用人を持つのが通例で、「臣を持つ」ことは身分を象徴した。
  • 病間(へいかん):病が一時的に軽くなること。
  • 欺天:「天を欺く」=道理や運命を偽って取り繕うこと。儒家的には最大の不誠実。
  • 二三子:弟子たちを親しみを込めて呼ぶ語。「諸君よ」という意味。
  • 大葬:格式の高い葬儀。

全体の現代語訳(まとめ):

孔子が重病に伏したとき、子路は先生のためを思い、弟子を従者に見せかけて礼儀を整えた。
しかし病が軽くなった孔子は言った:

「由(子路)は、もう長く偽りを演じていたな。私は従者などいないのに、それをあるふりをするのは誰をだまそうというのか?
天(=道理)を欺くつもりなのか?
それに私は、形だけの従者の手で死ぬくらいなら、そなたたち本当の弟子たちの手で死ぬほうがずっとましだ。
たとえ立派な葬儀ができなくとも、私は路上で野垂れ死にするような人間ではないのだ。」


解釈と現代的意義:

この章句は、孔子の誠実さと死に対する潔さ、そして弟子への信頼が込められた非常に印象的な言葉です。

  • 見栄や形式に頼らず、本質的な誠実さを貫く態度
  • 死を恐れず、自然の摂理と天命を受け入れる覚悟
  • 信頼すべきは形式ではなく、志を同じくする仲間(=弟子たち)

「偽ってまで立派に見せる必要などない」「誠実であることが何よりも大切」
孔子は病中でさえもその姿勢を崩さず、リーダーの本質を示しました。


ビジネスにおける解釈と適用:

1. 「形式」ではなく「誠実さ」で信頼される人物に

  • 上辺の整ったポジショニングや“演出された”部下の姿勢ではなく、
     本当に信頼関係のある人たちとともにあることが、人としての誇り。

2. 「見栄のための演出」は本質を損なう

  • 役職や肩書、格式あるイベントに固執するよりも、誠意ある対応が評価される。
  • “虚構の演出”は一時の面子にはなるが、本質的な信用にはつながらない。

3. 最期の言葉でさえ、“人を欺かない”覚悟を示す

  • トップやリーダーの本当の価値は、追い詰められたときや死に際にこそ試される。
  • 孔子の姿は、「死に様が人間の生き様を語る」ことの象徴。

ビジネス用心得タイトル:

「虚飾より誠実──“天を欺かず、人に誇れる生き方”を貫け」


この章句は、組織のトップやベテラン社員、あるいは退任を控えた指導者にとって非常に深い意味を持ちます。

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