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天下は「子」か「賢」か――天が選ぶのはその時ふさわしき者

孟子は、禹(う)が賢者に位を譲らず子に伝えたことを「徳の衰え」と見る通俗の見方を否定する。
天は賢者に与えるべきときは賢者に、子に与えるべきときは子に与えるのだと説く。
その判断基準は天自身が下すものであり、誰が実際に支持され、受け入れられるか=民意と事実の流れによって示される
舜が禹を、禹が益を推薦したにもかかわらず、民衆が最終的に支持したのは禹の子・啓だった。
ここに、「継承の正当性は血縁か賢者か」という問いに対し、孟子が示す**柔軟で現実的な「天命の論理」**がある。


原文と読み下し

万章(ばんしょう)問(と)うて曰(いわ)く、人の言(い)えること有(あ)り。
禹(う)に至(いた)りて徳(とく)衰(おとろ)え、賢(けん)に伝(つた)えずして、子に伝う、と。諸(これ)有りや。

孟子(もうし)曰く、否(いな)、然(しか)らざるなり。
天(てん)、賢に与(あた)うれば則(すなわ)ち賢に与え、天、子に与うれば則ち子に与う。

昔者(むかし)、舜(しゅん)、禹を天に薦(すす)むること十有七年。舜崩(ほう)じ、三年の喪(も)畢(お)わりて、禹、舜の子を陽城(ようじょう)に避(さ)く。天下の民、之(これ)に従うこと、堯(ぎょう)崩ずるの後、堯の子に従わずして舜に従うが若(ごと)きなり。

禹、益(えき)を天に薦むること七年。禹崩じ、三年の喪畢りて、益、禹の子を箕山(きざん)の陰(いん)に避く。
朝覲(ちょうきん)・訟獄(しょうごく)する者、益に之(ゆ)かずして、啓(けい)に之く。曰く、「吾(われ)が君の子なり」と。
謳歌(おうか)する者、益を謳歌せずして、啓を謳歌す。曰く、「吾が君の子なり」と。


解釈と要点

  • 「禹が子の啓に位を譲ったのは徳が衰えたから」という説は誤りであり、天命に基づいた選択だったと孟子は明言する。
  • 舜が禹を天に薦め、禹が益を薦めたように、天に推薦する行為自体は政治的正当性の第一段階である。
  • しかし、最終的に天下が誰を支持するかは、天と民の判断によって決まる。これは「舜が禹に従われ、啓が益に優った」事例に如実に現れている。
  • 賢者に譲られることも、子に継がれることも、それぞれが「天意の現れ」として正当性を持つという柔軟な思想。
  • 重要なのは形式的な継承ではなく、行動と結果により誰が民に受け入れられるかであり、それが「天が与えた」ことの証になる。

注釈

  • 陽城(ようじょう)・箕山(きざん):推薦された人物が自ら退いて身を寄せた地。形式的には辞退し、天命を待ったことを示す。
  • 朝覲(ちょうきん):諸侯が天子に拝謁する礼。
  • 訟獄(しょうごく):裁判・訴訟を指す。政治的正当性の象徴。
  • 謳歌(おうか):功徳を称えて歌う。民の心がどちらに向いていたかを示す重要な指標。

パーマリンク(英語スラッグ)

heaven-chooses-merit-or-lineage
→「天は、徳か血統か、そのときに応じて選ぶ」という柔軟な天命観を表現したスラッグです。

その他の案:

  • mandate-follows-deeds-or-birth(天命は行いにも血筋にも従う)
  • succession-by-merit-or-son(継承は賢か子か)
  • heaven-grants-when-fit(ふさわしい者に天は与える)

この章は、「天命=実績による正統性」と「血統による継承」の両立を示し、儒教における継承観の柔軟性と現実性を象徴しています。

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