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天に見放されたと思うほどの悲しみ

最愛の弟子を失い、孔子が天に嘆いたとき

顔淵(がんえん)が亡くなった――
その知らせを受けた孔子は、あまりの悲しみに耐えられず、天を仰いでこう叫んだ。

「嗚呼(ああ)、天は私を見捨てたのか。天は私を滅ぼそうとしているのか」

弟子は多くいたが、その中でも顔淵は、人格・学問・理解力のすべてにおいて孔子が最も信頼していた存在だった。
孔子の教えを深く理解し、問わずして会得し、慎み深くして誠実。そのような理想の弟子を、自分より先に喪う――

その現実を、孔子は受け入れがたかった。
単なる弟子の死ではない。自らの理想を理解してくれた魂との別離だった。
だからこそ、孔子は「天が私を滅ぼすのか」とまで口にした。

人生には、言葉にできない喪失がある。
人の心では受け止めきれない悲しみが、ある。


引用(ふりがな付き)

顔淵(がんえん)死(し)す。
子(し)曰(い)わく、噫(ああ)、天(てん)、予(われ)を喪(ほろ)ぼすか。
天(てん)、予(われ)を喪(ほろ)ぼすか。


注釈

  • 顔淵(がんえん):孔子の高弟。人格・知性・忠誠心すべてにおいて理想の弟子とされた。
  • 喪ぼす(ほろぼす):失わせる、破滅させる。ここでは「自分を見捨てる、崩れさせる」という意味合い。
  • 予(われ):一人称。孔子自身を指す。
  • 噫(ああ):深い嘆きと悲しみの感嘆詞。
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