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陽炎の身を悟りて、死の目を超えてゆけ


■ 引用(出典)

一七*
この身体は水瓶のように脆いものだと知って、
陽炎のようなはかない本性のものであるとさとったならば、
この世で悪魔の花の矢を断ち切って、
死王に見られないところへ行くであろう。
(『ダンマパダ』第18章 第17偈)


■ 逐語訳

  • この肉体はまるで水瓶のように壊れやすく、限りあるものだと理解したとき、
  • 陽炎(かげろう)のようにはかなく、実体なき存在であると深く悟ったなら、
  • 欲望や煩悩という「悪魔の花の矢(誘惑)」を断ち切り、
  • 死の支配(死王)の目の届かぬ領域、すなわち解脱の境地へと至るだろう。

■ 用語解説

用語解説
水瓶(クンディ)壊れやすい器。身体の脆さ・儚さを象徴する。
陽炎(かげろう)実体がない幻想のようなもの。無常・無我の象徴。
悪魔の花の矢欲望・感覚的快楽・煩悩の誘い。
死王(ヤマ)死の権化、無常の力そのもの。
見られないところへ行く輪廻の外、すなわち涅槃(解脱)に至ること。

■ 全体現代語訳(まとめ)

この身体は、まるで壊れやすい水瓶のように、いつか必ず砕ける。
人生とは、陽炎のように実体がない、はかない幻のようなもの。
その真実に気づいた者は、欲望という悪魔の花の矢を断ち、
死すら支配できぬ智慧と解脱の地に、静かに至っていく。


■ 解釈と現代的意義

この偈は、「有限なる身体と幻想としての生」に目覚めた者が、欲望に振り回されず、真の自由を得ることを説いています。現代においても、身体・見た目・所有・成功など「目に見えるもの」ばかりを追いがちな私たちに、**「それは実体ではない」**と静かに教えてくれます。

そして、真実に気づいた者は、もはや「死すら恐れない」。それは、死を超えて「生きる」智慧を得た者だからです。


■ ビジネスにおける解釈と適用

観点応用の仕方
身体と成果に執着しすぎない成績やポジションに執着すると、内面の幸福や成長を見失う。「数字は陽炎」として、本質を見極める力を持つこと。
誘惑・慢心の断捨離欲望(高評価、称賛、金銭)に流されると、道を誤る。日々、自分が「何のために」働くのかを見直すこと。
老いと有限性への敬意身体は有限であり、だからこそ「今できること」に集中し、時間を無駄にしない働き方を意識する。

■ ビジネス心得タイトル

「陽炎の世に、惑わされるな」

肉体も地位も、いつかは崩れる。
だからこそ、そこに執着するのではなく、本質を貫く生き方を選べ。
欲望の矢を断ち、死すらも及ばぬ領域へ――
それが、覚者として働く者の道である。


この第十七偈は、仏教の無常観と解脱観を、比喩を交えながら明瞭に説いてくれます。

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