一、原文(抄出)
吉凶に付、仰渡しなどの時、無言にて引取りたるも、当惑の体に見ゆるなり。能きほどのお請あるべき事なり。前方の覚悟が肝要なり。
役など仰付けられ候節、内心に嬉しく思ひ、自慢の心などあれば、そのまま面に顕はるるものなり。数人見及びたり。見苦しきものなり。
我等不調法なるに斯様の役仰付けられ、何と相調ふべきや、さてさて迷惑千万、気遣なる事かなと、我が非を知りたる人は言葉に出さずとも面に顕はれ、おとなしく見ゆるなり。
浮気にて、ひようすくは道にも違ひ、初心にも見え、多分仕損じあるものなり。
二、書き下し文(要所)
吉か凶かにかかわらず、何らかの命令を受けた際に、無言でうなずくだけでは、かえって困惑しているように見える。
それにふさわしい態度と返答をもって受けるべきであり、そのためには日頃の心構えが重要である。
また、役目を命じられたとき、内心で得意になったり、うれしさを隠せなかったりすると、たちまち顔に出てしまい、非常に見苦しい。
本当に分をわきまえた人物は、「自分のような未熟者にこのような大役が務まるだろうか」と、言葉に出さずとも慎み深い態度が表情に表れ、かえって好感を与えるものである。
内心が浮ついて調子に乗ってしまうような者は、武士道から外れた者であり、結局は任務を失敗に終わらせる可能性が高い。
三、逐語現代語訳
- 「無言にて引取りたる」:任務を黙って受け取るだけの態度。
- 「当惑の体に見ゆるなり」:何を考えているのかわからず、不安や戸惑いを感じさせる。
- 「自慢の心などあれば…見苦しきものなり」:得意げな表情や振る舞いは未熟そのものであり、人の目に耐えない。
- 「我が非を知りたる人」:自己の力量不足を正しく認識している謙虚な者。
- 「浮気にて、ひようすく」:「浮ついた様子で得意がる」こと。未熟さと危うさの象徴。
四、用語解説
用語 | 意味・解説 |
---|---|
仰渡し | 命令・指示・辞令。 |
前方の覚悟 | あらかじめの心の準備。心の余裕と姿勢の整え。 |
ひようすく | 体裁だけの振る舞い。誇らしげに浮かれて見える様子。 |
不調法 | 能力不足・未熟。謙遜をこめた自己評価。 |
初心 | 武士としての純粋さが欠けている未熟な者という意味。 |
五、全体現代語訳(まとめ)
役職や任務を与えられたとき、その態度・表情・返答は周囲に深い印象を与える。
黙って受けるのは、時に困惑しているように見え、また、内心のうれしさや自慢が顔に出てしまうと、かえって軽率で見苦しいものとなる。
真に自分の分をわきまえている者は、言葉には出さずとも、表情や所作に謙虚さがにじむ。
役職を浮かれて受ける者は、未熟さが露呈し、結果として失敗することが多い。
任命されることへの心の準備と謙虚な姿勢こそ、奉公人の資質を表すのである。
六、解釈と現代的意義
この章句は、「役職・評価をどう受け止めるか」がその人の本質を映し出す鏡であることを教えています。
現代では、昇進・担当プロジェクト・表彰・抜擢など、日常的に“任される”場面があります。
そのときに「ふさわしい表情・言葉・態度」をとれるかは、その人の成熟度・品格・組織理解の深さを如実に示します。
ここで語られるのは「低姿勢であれ」という単なる処世術ではなく、
「役目を真に果たす覚悟があるか」「自分の未熟を自覚しているか」という精神の在り方です。
七、ビジネスにおける応用(実践項目)
項目 | 解釈・応用 |
---|---|
任命時の対応 | 返答・表情・姿勢は冷静かつ誠意をもって。過剰な喜びや無表情は避ける。 |
昇進・抜擢時の心構え | 喜ぶよりも、「この責務を果たせるか」と心に問う。 |
謙虚な自己認識 | 実力が及ぶか不安であることを、誠実さとして内面でかみしめる。 |
周囲への影響配慮 | 得意げな態度は組織の調和を乱す。冷静な立ち居振る舞いが信頼を生む。 |
任務成功の布石 | 覚悟と姿勢を整えてこそ、結果が伴う。準備は任命以前から始まっている。 |
八、心得まとめ
「任命の瞬間にこそ、その人の器が試される」
任されたときに、浮かれず、沈まず、静かに誠意をもって受ける――その姿に人は信を置く。
自分の未熟を知りながら、それでもなお一歩を踏み出す者にこそ、大きな仕事は託される。
喜びよりも責任を、虚栄よりも誠実を、その一瞬に宿すことが、真の奉公人の姿である。
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