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事業マインドをもて

事業において最も重要なのは、社長が持つ事業に対する心構えだ。この心構えは、個人の人生観や経営理念から生まれるものであり、それが欠けている限り、事業を真に成り立たせることは難しいと言える。

事業マインドの優れた実例として、大阪市住之江区に本社を構える村上木材株式会社の社長、村上恩氏を紹介したい。同社は1894年の創業以来、世界各地から木材を輸入し、国内の製材工場や住宅関連企業に供給している 。村上社長は、時代の変化に柔軟に対応しつつ、堅実な経営を信念として貫いてきた 。その結果、同社は国内随一の30,000点の在庫を誇り 、木材業界のトップクラスの地位を確立している。村上社長の事業に対する心構えは、同社の発展と信頼の礎となっている。

この文章には、事業に対する基本的な姿勢だけでなく、事業経営を成功に導くための多くの教訓が含まれている。さらに、事業運営のヒントとなる内容も詰まっており、極めて示唆に富んだものだ。これを広く共有することは、自分の役割の一つであると考え、村上社長からは固辞されたものの、あえてそのままここに掲載することを決めた。

宮崎県霧島山麓に位置する村上木材は、もみの木を専門とする製材会社だ。同社は陶器の本箱用板を中心に、漆器や銅器の木箱用材も手がけている。その特色は、鋸の技術に独自の工夫を凝らし、板面に挽き跡を残さない点にある。この技術により、一度の作業で仕上鉤をかけることが可能となり、品質と効率を両立させている。

村上木材では、一人一機で一日に三千枚もの板を挽いても飽きのこない、質の高い労働力と伝統の技術が支えとなっている。その挽いた板は、広い敷地で自然乾燥させるが、安い地価がそれを可能にしている。この地域では、千切り大根が自然に乾くほどの気候条件に恵まれており、霧島嵐の風が吹くことで板も白く美しく乾燥し、品質の高い製品が生まれる。

宮崎空港から車で一時間ほどのこの地は、有名なえびの高原が近くにあり、山紫水明の風光明媚な場所だ。神武天皇が誕生した地としても知られ、環境に恵まれている。このような地方でも、航空機の時代となった今では、大阪までわずか55分、名古屋まで1時間15分、東京まで1時間半と、中央との距離は決して遠いとは言えない。

私の山林が九州縦貫道の建設にかかったことでまとまった資金を得たため、数年前に新大阪駅から徒歩5分の場所にマンションを購入した。それを拠点に得意先を回ったり、勉強会に参加したりしている。製材業は「浮草稼業」と言われるように、環境や市場の影響を受けやすい。だからこそ、いくつもの安全策を講じ、大丈夫の手を常に確保しておく必要があるのだ。

あるとき、宮崎銀行の頭取から、大規模経営を行う若い牧場主に助言をしてほしいと頼まれ、牧場を訪ねることになった。一通り見て回った後、私は彼にこう言った。「百十ヘクタールの土地を三十五年かけて払い続けるだけの一生では、どの仕事も食べていくだけで終わります。ここで、将来の退職金を作る方法を考えましょう」と。そして、牧場の周囲に三列の杉や桧を植えることを提案したのだ。

「土堤を守り、崩れを防ぐ効果があります。間伐材は柵や突っ張り棒として活用でき、いずれは小屋の建材も取れるでしょう。さらに、台風の風よけとして働き、防火林の役割を果たします。牛たちが昼寝をする木陰も生まれる。そして、年月が経てば、その木々は立派な大木となり、あなたの退職金の代わりになります」と説明しながら、私は指さして見せた。その先には、神武天皇を祀る社の森が広がっていた。

その場所には、戦国時代に朝鮮遠征で大勝を収めた薩摩藩主が記念に植えたという杉並木があり、今では樹齢380年を迎えている。その一本一本が1,000万円から2,000万円もの価値を持つ。私はその話を例に挙げ、「最初にしっかりとした心がけがあれば、あとは時と太陽を味方につけるだけで、必ず大きな財産を生み出すものです」と説明を加え、長期的な視点の重要性を説いた。

東京銀座の土地一坪の価格には、田舎の土地が到底かなうわけではない。しかし、土地に「本(樹木)」を植えることで、その価値を上げることも、逆に割安感を生むことも可能だ。実際、その神社の樹木が立ち並ぶ土地は、たとえ田舎であっても一坪1,000万円という価値を持っている。このことが示すように、土地に価値を付加する方法として、樹木を植えるという選択肢には大きな可能性があるのだ。

財産を何に求めるかは、その人の人生観や事業観、性格、職業、年齢、環境、さらには外的要因など、さまざまな要素によって決まるものだ。私自身、この25年間、山林に力を注いできた。真っ直ぐに天を目指して成長する杉の木々を見ると、心が洗われるような感覚を覚える。

特に、日南地方や鹿児島県の一部では、冬でも霜が降りないため、木々が一年中成長を続ける。その成長の様子を見守ることは、私にとって大きな喜びでもある。

山を愛する人は長生きすると言われる。それも納得できる話だ。晴天の日には製材場の板が乾き、雨が降れば山の木々が太る。どちらに転んでもプラスになるのが、この仕事の強みだ。まさに経営の理想形とも言える。

昔の高僧がこう語ったという。「雨が降ってありがたく候、天気でまたありがたく候」。山林経営には、この言葉がそのまま当てはまる。自然を相手にした事業の中には、どんな状況でも恩恵を見出す知恵があるのだ。

手持ちの山林は、自家製材のためのものではなく、あくまで非常時に備える資産として位置づけている。そのため、百年間は伐採しないという方針を長期計画に明記している。これは短期的な利益に囚われず、未来を見据えた経営の姿勢を示すものであり、山林そのものを次世代に受け継ぐための責任でもある。

しかし、最近のように世情が目まぐるしく変化する中では、すぐに現金化できる資産が求められることもある。そのため、近頃では山林だけに頼らず、債券や株式、預金といった流動性の高い資産にも分散させている。こうした選択は、経営の安定性を保ちつつ、時代の変化に対応するための柔軟な備えと言えるだろう。

宮崎にサファリパークができたことで、農家の藁がすべて買い占められる事態が起きた。そこで考えたのが、鋸屑を活用する方法だった。鋸屑にイースト菌やブドウ糖菌など、四種類の混合菌を加えて一晩発酵させる。この発酵鋸屑を濃厚飼料と2対7の割合で混ぜ、牛に与えるというものだ(これは東大の有馬教室が考案した方法だ)。

この方法には多くの利点がある。まず、牛に満腹感を与え、消化が良くなる。さらに、栄養価が高まり、牛舎の臭気も軽減される。そして最も重要なのは、良質な肉が得られ、肥育効果が非常に高い点だ。このようにして、資源を無駄なく活用しつつ、高い成果を上げる方法を取り入れた。

この方法の実用化によって、鋸屑の需要が飛躍的に高まり、それまでの十倍の価格で売れるようになった。特に、薄鋸で挽いた細やかな木目のもみ板から出る鋸屑は、その品質の高さから一気に人気商品となり、市場で飛ぶように売れ始めた。この状況は、製材業の副産物である鋸屑に新たな価値を見出し、収益の幅を広げるきっかけとなった。

そこで、この収益を「無かったもの」として捉え、別管理するために、平仮名で書かれた会社名の預金通帳を新たに作成した。この口座には毎日、鋸屑の売上を入金し、社長自身が勉強会に参加して講師の話を熱心に聞く場でも活用される。

特に、講師の会社が将来的に成長しそうだと感じた場合は、事務局を通じてその講師が経営する会社の株価予想を確認し、必要と判断すればその場で株式を購入する手続きを行う。その払込資金として使うのが、この鋸屑の売上である。この仕組みによって、副産物から生まれた利益をさらに増やし、資産を効率的に運用する方法を確立している。

昔、戦国の世において、名古屋地区からは多くの戦国武将たち、いわば「チャンピオン」が輩出された。その結果、この地域には特に重い税が課されるようになり、名古屋の人々は何度も資産や食糧を持ち去られる状況に耐えてきた。

それでも、不時の飢饉に備える知恵を持っていた。毎日の雑穀を計り分ける際、猪口(ちょこ)一杯分を別に取り分け、それを壺に少しずつ貯めていく。地道な積み重ねが、いざというときの備えとなった。この知恵と忍耐強さが、困難な時代を生き抜く力となっていたのである。

あの名古屋の精神に学ぶなら、「天引き」が基本だ。つまり、引き千切るような覚悟でなければ、貯蓄は実現しないということだ。本業は「犬の道中食いもうけ」、つまりその日その日を食べていくだけの稼ぎに過ぎないかもしれない。しかし、それでも雨垂れや岩間の清水のように、一滴ずつでも貯めていけば、やがては大河となる。

重要なのは、日々の心がけで少しずつ積み重ねていくこと。その小さな努力の繰り返しが、いくつもの安全弁を作り出し、将来的な安心をもたらす。持続可能な経営とは、こうした地道な努力の先にあるのだ。

さらに、中央へ出向いて参加する勉強会では、生涯の友と呼べる存在を得ることもあり、家族ぐるみの付き合いに発展することもある。一度の勉強会で多くの収穫を得て戻ることもしばしばだ。田舎が遅れているほど、新たに得た知識が大きな成果をもたらす。

有田焼、伊万里焼、波佐見焼の産地へは、片道七時間の道のりを車で走り、毎月何度も通う。その車中では「一倉セミナー」の声が収録されたテープを流し、耳を傾ける。聞くたびに、その時々の心境や抱える問題によって、新たな発見がある。美しい自然に囲まれながら、温かく素直な心を保ち続けることで、お客様から愛される存在でいられるのだと実感する。

今日も旅から旅へと移動する日々を送っている。「社長はお客様のところへ行け」という言葉を、文字通り実践しているわけだ。視点を変え、場所を変え、他所へ足を運ぶ。その際、ユーモアを忘れず、「正直で熱心」であるならば、どんな人でも味方になってくれる。この経験こそが何よりも示唆に富んでいると言えるだろう。ついでに、ここで少しばかり村上式経営について補足しておこう。

製材の際には、まずモミの木の皮を皮剥機で丁寧に剥ぎ取る。この剥がれた皮はすべて農協に販売する仕組みだ。村上木材では、一切の無駄を出さない、完全な資源活用を実現している。

一方、隣接する都城市には木工団地があり、そこではいくつかの会社が鋸屑を焼却している状況だ。資源を無駄にするだけでなく、焼却作業に人手を割き、さらに売却すれば得られるはずの収益を自ら失っている。効率を欠いた無駄な運用が浮き彫りになっていると言える。

このような小さな違いでも、長年の積み重ねにより大きな差が生じる。一事が万事という言葉を考えれば、この差は決定的なものとなる可能性がある。

ところで、村上社長が経営する養鱒場について紹介しよう。この養鱒場では、ニジマスやイワナなどの川魚を養殖しており、釣り堀や食事処も併設している。訪れる人々は、釣りを楽しみながら新鮮な魚料理を味わうことができる。また、卵から魚を育てることで安定した供給を実現し、地域の特産品としての地位を確立している。

事業は自然の恵みを活用すべきだという村上社長の理念、「太陽と時を味方にする」を体現した一例が、霧島山の地下水の活用だ。会社の近くに霧島山の豊かな地下水が湧き出ており、この貴重な資源を有効活用するために養鱒場を設立した。自然の力を味方につけ、持続可能な形で事業と地域の発展を両立させる取り組みとなっている。

清らかな地下水は年間を通じて約16度の安定した温度を保っている。このため、鱒は一年中活発に餌を食べることができ、成長が早い。結果として、養殖の回転率も高まり、効率的な運営が可能となる。この地下水の恩恵が、養鱒場の生産性を大きく支えている。

鱒は肉食魚であり、底に沈んだ餌を食べない性質がある。そのため、養殖池には鱒と一緒に鯉を混ぜて飼育する工夫がなされている。鯉は底に沈んだ餌を食べるため、無駄になる餌がほとんどない。この仕組みによって、餌の歩留まりが非常に高く、資源の効率的な活用が実現されている。

鱒池の下流には鯉を飼う池が設けられている。この鯉の池でさらに水が利用され、鯉の活動によって水は養分をたっぷりと含むようになる。その豊かな栄養を含んだ水は、下流の田んぼへと流れ込み、稲を肥やす役割を果たしている。この循環型の仕組みは、自然の力を最大限に活用し、無駄のない持続可能な農業と養殖の両立を実現している。

この養鱒場は、高原町のリクリエーションの場としても機能している。敷地内には広々とした駐車場が整備されており、観光バスの乗り入れも可能だ。駐車料金も入場料も無料で、気軽に訪れることができる。釣り堀が設けられており、訪れる人々は新鮮な空気の中で釣りを楽しみながら、自然と触れ合うひとときを満喫している。

お客様が釣り上げた鱒や鯉は、その場で買い取ってもらう仕組みだ。購入後、係員が流し台で魚の腹を割り、内臓を取り除く。この取り除かれた内臓は池に流し込まれ、そこで鱒の餌となる。流し込みの周辺には多くの鱒が集まり、内臓は瞬く間に彼らの腹の中に収まる。無駄なく循環するこのシステムが、養殖場の効率性をさらに高めている。

この養鱒場には直営のレストランが併設されている。提供される料理は、新鮮な鱒と鯉を主体としたメニューが中心だ。施設内には大広間と個室があり、大広間は団体客の食事や催事の会場としても利用可能な設計になっている。また、売店では鱒を使ったお土産品も販売されており、訪れた人々が家族や友人への贈り物として持ち帰ることができる。

レストランで出る残飯はすべてスリ餌に加工され、鯉の餌として再利用されている。「ここでも何一つ捨てるものはない」というのが村上社長の信念であり、この徹底した無駄のない運用が、事業全体を支える重要な要素となっている。

製材工場にしても、養鱒場にしても、その緻密な仕組みと無駄のない運用には驚嘆せざるを得ない。ここまで徹底的に考え抜かれた事業モデルには、ただ舌を巻くばかりだ。村上社長の姿勢から、「事業とはこうして行うものだ」という本質を学ばされる思いである。

村上式経営法を応用すれば、さらなる収益を実現できる可能性を秘めた企業は、世の中に数多く存在していることは明白だ。その徹底した資源活用と無駄の排除という理念は、どの業種にも適用可能であり、取り入れることで多くの企業が経営効率を飛躍的に向上させる潜在力を持っている。

事業で成功するためには、経営者が持つ「事業マインド」が極めて重要です。村上木材の村上社長の例を通じて、この事業マインドがどのように事業に影響を与え、成功に導くかを見てみましょう。

1. 自然と調和した経営

  • 村上社長は「自然の恵み」を最大限に活用する事業を行っています。例えば、製材業で生じる鋸屑や木の皮も資源として売却し、鱒や鯉の養殖にも無駄なく利用しています。また、霧島山の湧水を活用した養鱒場での経営方法は、自然の循環を活かし、廃棄物ゼロの仕組みを実現しています。自然と共生し、地域の資源を活用することで、環境と経済の両立を図っているのです。

2. 未来志向の視点と長期計画

  • 村上社長は、百年単位で山林を育てる長期的な計画を持っています。特に山林を備えとして維持し、すぐに現金化せず、必要なときに備えています。こうした視点は、短期の利益を追うのではなく、将来にわたる安定した経営基盤を築く姿勢を示しています。

3. 多様な安全弁の確保

  • 事業には常にリスクが伴うことを理解し、村上社長は複数の収益源や安全策を持っています。例えば、鋸屑の利用や山林の保有、鱒の養殖など、様々な収益機会を確保しており、不測の事態に備えています。また、鋸屑の売却益を「天引き貯蓄」することで、事業資金を計画的に貯めるなど、リスクに備えた堅実な経営を実践しています。

4. 地域と共に歩む事業の姿勢

  • 村上社長は、単なる事業利益の追求ではなく、地域との共存も重視しています。養鱒場は地域のレクリエーションの場としても提供し、観光客が楽しめるように駐車場や釣り場を開放しています。このような地域との繋がりを大切にし、顧客が親しみやすい環境を整えることで、地元からも信頼される経営を行っています。

5. 無駄を排し、効率化する経営の徹底

  • 村上社長の事業では、製材時に出る廃材や養鱒場の残飯に至るまで、すべてを再利用して収益に変えています。これにより、資源の無駄を排除し、経営の効率を高めています。また、社員教育にも力を入れており、社員を育成することが結果として高い品質の製品を提供することにつながっています。

6. 事業マインドの核心:「正直で熱心」

  • 村上社長の事業の根本には、「正直で熱心に働くこと」があります。顧客に愛され、事業を支持されるには、この姿勢が不可欠です。村上社長のように、顧客や地域との関係を築き、誠実な仕事を行うことが、長期的な信頼と収益を生む基盤になります。

結論

村上社長の経営から学べるのは、単に利益を追求するのではなく、自然との調和、地域との共存、そして未来を見据えた長期的な計画が事業の成功に不可欠であるということです。事業マインドを持ち、自然と共に歩み、持続可能な成長を目指すことが、真に価値のある事業を築くための鍵となります。

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