「守る力が王者の資格──仁こそが最強のリーダー資質」
斉の宣王は、春秋時代の覇者である斉の桓公と晋の文公について語ってほしいと孟子に求める。
しかし孟子は、あえて次のように答える。
「孔子の流れをくむ人たちは、桓公や文公のことを語りません。だから後世に伝わっていないのです。私も聞いたことがありません」
孟子は、あえて「知らない」と言うことで、王の興味の方向を切り替えようとする。そして続けて、
「もし、どうしても何か話せというなら、王道についてお話ししましょう」
この一言によって、孟子は**「覇道」ではなく「王道」へと話題を転換**する。
宣王が「どのような徳があれば王者となれるのか」と問えば、孟子は即答する。
「民を安んずれば王となれます。それを止められる者はいません」
さらに宣王は「私のような者でも民を保てるだろうか」と自信なさげに聞くと、孟子は迷わず、
「できますとも」と肯定する。
その自信の根拠を問われた孟子は、「私は胡齕から、ある話を聞きました」と次の展開へと巧みに導いていく。
会話は「迎合」ではなく「導入」である
この章の真価は、孟子の対話術の巧妙さにあります。
- 相手の知りたいこと(覇者の話)には一線を引きつつ、
- 相手の「知るべきこと」(王道とは何か)へと話を転換し、
- 相手の自尊心や懐疑に寄り添いながら、最終的には自分の思想へと引き込んでいく
これは、今日の教育・交渉・コンサルティングなどでも非常に有効なアプローチであり、**「対話によって相手を育てる」**孟子の哲学が凝縮されています。
原文
齊宣王問曰:「齊桓、晉文之事,可得聞乎?」
孟子對曰:「仲尼之徒無道桓、文之事者,是以後世無傳焉。臣未之聞也。」王曰:「無以則王乎?」
曰:「德何如則可以王矣?」
曰:「保民而王、莫之能禦也。」
王曰:「若寡人者、可以保民乎哉?」
曰:「可也。」
曰:「何由知吾可也?」
曰:「臣聞之胡齕。」
引用(ふりがな付き)
「斉(せい)の宣王(せんおう)問(と)うて曰(いわ)く、斉桓(せいかん)・晋文(しんぶん)の事(こと)、聞(き)く得(う)べきか。
孟子(もうし)対(こた)えて曰く、仲尼(ちゅうじ)の徒(ともがら)、桓(かん)・文(ぶん)の事を道(い)う者無し。是(こ)れを以(もっ)て後世(こうせい)伝(つた)うる無し。臣(しん)未(いま)だ之(これ)を聞(き)かざるなり。以(もっ)て無(な)くんば則(すなわ)ち王(おう)か。
曰く、徳(とく)何如(いかん)なれば則ち以て王たるべき。曰く、民(たみ)を保(やす)んじて王たらば、之(これ)を能(よ)く禦(ふせ)ぐ莫(な)きなり。
曰く、若(も)し寡人(かじん)の若(ごと)き者、以て民を保んずべきか。曰く、可(か)なり。
曰く、何(なに)に由(よ)りて吾(わ)が可(か)なるを知(し)るや。曰く、臣(しん)之(これ)を胡齕(ここつ)に聞(き)けり。」
注釈
- 仲尼(ちゅうじ)…孔子の字。孔子の弟子や流派を指す。
- 桓公・文公…覇者の代表格。軍事・外交をもって諸侯を束ねた「覇道」の象徴。
- 以む無くんば……(もし)他に話すことがなければ〜、の婉曲表現。
- 保民(ほうみん)…民を守り、安心させる政治。仁政の核心。
- 禦ぐ(ふせぐ)莫きなり…これを妨げる者は誰もいない。自然の流れの比喩。
現代語訳(逐語・一文ずつ訳)
- 「斉の宣王が言った。『斉の桓公や晋の文公のことを聞かせてもらえるか?』」
- 「孟子は答えて言った。『孔子の弟子たちは、桓公や文公のことを語らなかったので、後世に伝わっていない。私もその事績は聞いていません』」
- 「王が言った。『では、それが無くても“王”になれるのか?』」
- 「孟子が答えた。『どんな徳があれば王となれるか、ですか?』」
- 「『民を守ることができれば、王となれるのです。誰もそれを阻むことはできません』」
- 「王が言った。『私のような者でも民を守ることができますか?』」
- 「孟子は答えた。『できます』」
- 「王が言った。『どうして私がそれをできると分かるのか?』」
- 「孟子は答えた。『私は胡齕からあなたのことを聞いたのです』」
用語解説
- 斉桓(せいかん)・晋文(しんぶん):春秋時代の覇者。覇道(軍事・外交での支配)による統一者。
- 仲尼(ちゅうじ):孔子のこと。儒家の創始者。
- 保民(ほみん):民の生活を守り、安らかにさせること。仁政の核心。
- 胡齕(ここつ):斉の大臣で、孟子と王との間をとりもつ忠臣。
全体の現代語訳(まとめ)
斉の宣王が孟子に尋ねた。
「斉の桓公や晋の文公の話を聞かせてもらえるか?」
孟子は答えた。
「孔子の弟子たちは、彼らのことを語らなかったため、後世に記録が残っていません。私も彼らの事績については知りません。」
宣王はさらに聞いた。
「それらの事績がなくとも、王になれるのか?」
孟子は答えた。
「徳があれば王になれます。具体的には、“民を守ること”です。民を守ることができれば、誰にもそれを止めることはできません。」
王は続けて聞いた。
「私のような者でも、民を守ることができるのか?」
孟子は力強く答えた。
「できます。」
「どうしてそれがわかる?」
「私はあなたの大臣である胡齕から、それができる人だと聞きました。」
解釈と現代的意義
この章句は、孟子が覇道ではなく「仁政」によって天下を治めることの正当性を説いた重要な対話です。
孟子は、軍事的覇者である斉桓や晋文よりも、**「民を守る者こそ王たりうる」**と主張します。
そして宣王の問いに「できます」と即答した孟子は、王の可能性を信じており、
**“民を思う心さえあれば、どんな王でも仁政によって天下を取れる”**という儒教の理想を明確に打ち出します。
ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)
- 「成果ではなく、“守る姿勢”がリーダーの本質」
派手な実績や覇道的手腕ではなく、社員を守り、育てる姿勢を持つ者こそが本当のリーダーである。 - 「人を守る力は、他のすべてに勝る影響力を持つ」
どれほど強い競合がいても、社員・顧客・取引先からの**“守ってくれる信頼”を得た組織は、誰にも止められない。** - 「あなたにも、守る力はある」
経験・地位・知識が足りないと感じても、“守りたい”という真摯な気持ちがあれば、
リーダーシップは自然と発揮され、周囲から支持される存在になれる。
まとめ
孟子はこの章を通じて、リーダーとは「人を殺さぬ者」「人を守る者」であるという一点を強く主張します。
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